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2008.11.04 (Tue)

歌舞伎座にて

先日、歌舞伎座で紫派藤間流舞踊会があった。
歌舞伎座が再来年4月で公演終了となり、建て替えられるので、知人が、今の歌舞伎座の最後になるかも知れないとチケットを取ってくれた。
しかも、桟敷席で。
歌舞伎座は数十年ぶりだったし、桟敷席は初めてだ。
当初は父に何かあれば行かれないと思い躊躇していたが、知人が新しい大役に挑むので、私もぜひ観たいと思っていた。
もし行かれなくなった場合は、一緒に行く友人に任せることにして二人分のチケットを取ってもらったのだ。
当日は、幸い何事もなく行ってくることができた。

結婚以来、歌舞伎座へ行く時間も余裕もなく、子育てが終わってからは、たまにテレビ中継や、深夜の芸能花舞台を見るだけになってしまったが、若い頃は、澤村精四郎(きよしろう)のファンだった。
若手女方で、声もよく品の良い見目形が好きだったし、素顔は爽やかな貴公子然としていて、若い女性に人気があり[きよしろさん]と呼ばれていた。
不世出の天才である坂東玉三郎の美しさは別格で、この世ならぬものを感じさせるが、私は、きよしろさんの可憐さが好きだった。
その後、二代目澤村藤十郎を襲名してご活躍だったが、10年前、突然脳梗塞で倒れられた。
お兄様の九代目澤村宗十郎(澤村訥升)と共に美貌の兄弟であったが、宗十郎さんは8年前に急逝された。
藤十郎さんは、一時は命も危ぶまれたそうだが、その後、半身がご不自由という中で、10年にも及ぶ大変なリハビリを経てお元気になられた。
11月からは舞台に復帰されるようで、その精神力や努力、役者魂に心より喝采を贈りたい。

そんなことを思いながら、歌舞伎座へ向かった。
踊りの会ということもあったのか、華やかな中にも和やかで肩のこらない雰囲気に、久しぶりにのんびりと楽しむことができた。
現在85歳になられた家元の藤間紫さんは、二日間を昼夜二回計4回も出演し、猿之助一門の方々も高弟の方々とともに出演されていた。
演目も、動と静、きらびやかなものと地味なもの、素人好みと通好みというように、なかなか工夫されていた。
知人も、常磐津と義太夫の掛け合いで、二役を演じ分けるという難しい役を演じたが、いつもながら小柄の人が大きく見える。
還暦も過ぎ、芸養子も決まって、後顧の憂いも無くなり、益々円熟味を増してきた。

門外漢の私は技術的なことはわからないが、知人の手の動きをいつも美しいと思う。
なぜか、以前から日本舞踊や民謡の踊り手の、ひらひらと美しく動く手に見とれてしまう。
数年前、角館へ桜を見に行ったとき、桜祭りで、桧木内川の河原で十代二十代の女性たち数十人が、おそろいの紫の着物で「秋田おばこ」を踊っていた。
土手の上から見ていると、手を上げたときに袖がはらりと落ちて白い腕が見える。
踊りよりも、その美しさに見とれていた。
しかし、全員が美しいというわけではない。
やはり、手の動きのとてもきれいな子がいるのだ。
それは、艶かしいとかエロチックという次元のものではなく、動きのひとつひとつが美の形として、とてもきれいだと思うし、ひらひらとした手に魅せられて目が離せなくなる。
昔の殿様や若衆は、あの美しい手の動きや白い腕に魅せられ、城や屋敷に召したのだろうと、勝手な想像をしながら秋田美人たちの踊りを見ていた。

秋田といえば、雄勝町は「小野小町」の出身地(全国各地にある)のひとつにされているが、今回、お家元は「卒塔婆小町」を踊られた。
朝倉摂さんが創られた舞台なのか、一般的な舞踊の舞台装置と違って、立体的な薄暗い竹林の中に朽ち果てた卒塔婆が積み上げられ、あるいは散らばり、スモークが焚かれて、霧が立ち込めたような舞台になっている。
その中を、花道から杖をつきながらとぼとぼと現れる年老いた小町は、お家元の年齢と重なりリアルで鬼気迫るものがあった。
謡曲「卒塔婆小町」を義太夫で舞踊にしたものだが、私は、この「卒塔私婆小町」の話が大嫌いなのである。
あらすじは、高野山の僧が都へ上る途中、阿倍野の原の朽ちた卒塔婆に座っている老女を見かける。
その姿は、ぼろを纏い、破れ笠に破れ蓑、首からは汚い袋を提げている。
それは、かつて美貌と才能で宮中の花であった小野小町の九十九歳の姿であった。
落魄し、物乞いに身を落とし、卑しい人々からも蔑まれる我が身を恥じて、夕闇に身を隠し、都を出てあてもなくさ迷い疲れて卒塔婆に腰をかけていたのだ。
僧は、卒塔婆に座るのをとがめて説教をするが、逆に小町に論破され、小町を三拝する。
僧に名を問われ、小野小町であったことを明かすが、突然、深草の少将の霊が取憑き、狂乱状態となって物乞いをする。
やがて、小町は深草の少将となって百夜通いを再現する。
百夜通いとは、小町に言い寄ってきた深草の少将は、“百夜通ってきたらあなたの心を信じる”という体の良い断りを真に受けて通い続け、九十九日目の大雪の日に、病で倒れ門前で亡くなったので、その思いが霊となって、小町に取り憑き苦しめるのだという。
ちなみに謡曲はこの説だが、他に、九十九日目の大雪に代役を立て、それがばれて思いが叶わなかったという説もある。
やがて霊も去り、最後は、小町が仏道によって後生を願うという仏教説話のような話だ。

小野小町は采女(宮中の役職)であったとも、仁明天皇の更衣(仁明天皇の13人の妻のうち一番位が低い・皇后←女御←更衣)であったともいわれる。
源氏物語でもわかるように、自由恋愛の時代に天皇を一途に思い、操を立て、言い寄る男たちを相手にしなかったため高慢といわれ、後世まで貶められるとは、本当にお気の毒だ。
歌から受ける印象も、結構男性的だったのかもしれない。
恋多き女だった和泉式部とは、対極にいた人だ。

お家元は、「卒塔婆小町」がお好きらしい。
猿之助さんと出会って半世紀余り、ずっと支えて来られ、またスキャンダルの波にも揉まれいろいろな事を乗り越えて来られたが、いつも、きっぱりと生きて来られた方だからこそ、このような演目は観たくないなと思っていた。
しかし、よくよく考えてみると、藤間紫という人は、どこか小野小町に通じるものがあるのかも知れない。
だから、この演目を踊られるのだろうか。

今度知人に会ったら、このことを伝えてみよう。


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