厳戒態勢での長野の聖火リレーが終わった。
チベット問題に関して、善光寺さんが仏教者としての筋を通して、聖火リレーの出発地を辞退したことは、国内外の多くの人々が感銘を受けた。
さすがは宗派を超えた仏教の修行の場であり、平和と平等の法統を守り、千四百年の法灯(御三燈)を消すことなく守ってきたお寺さんである。
日本国内で、チベット問題で抗議行動を起こすのは思想信条の自由だが、聖火を妨害するというのは筋違いだ。
しかし、中国人たちが聖火リレーを応援するというのは、全く奇異なことではないのか。
ランナーを応援するというのはわかるが、動員された大勢の人々が沿道で赤い国旗を振り、聖火とともに走りながら移動して『中国がんばれ』と叫んでいる。
日本国内で日本人が走っているのに、なぜ『中国がんばれ』なのか全く理解できない。
そもそも聖火リレーとは何かという本来の意味を全く失っている。
聖火防衛隊などを組織して他国へ押しかけての越権行為や、留学生などを大挙動員して国旗を振り声援をあげる。
中国政府や中国の人たちは、聖火を“自分たちのもの”と思い込んでいるのではないか。
今回の聖火リレーにも、中国大使館に留学生たちが動員(参加者4,000人)された事が、日本TVの取材でわかったそうだ。
しかも、リーダーという人は、大使館へ胡錦濤国家主席から応援に対するねぎらいの電話があったとカメラに向かって語っていた。
チベット問題以前に、オリンピックの開催国という全く基本的なことが解っていない。
このような認識の国に、オリンピックを開催する資格があるのだろうか。

サッカーの国際試合でもそうだったが、ネットで動員された人たちが大挙して押しかけ、
ナショナリズム丸出しで自国を応援するだけで、相手チームの健闘を称えるというスポーツマンシップも無く、相手チームやそのサポーターを威嚇したり、果ては暴力沙汰に及んだり、とても国際的マナーがあるとは思えない。
また、水泳の金メダル候補の中国選手が、公の場でライバルの他国選手を“ブタ”と呼び捨てるなど、世界の顰蹙を買った。
今回は、聖火防衛隊の越権行為に加え、フランス系のスーパーへの不買運動など、ネット動員された人々が大挙して押しかけている。
その騒乱を見ていると、北京で何かあったら、相手国の関係機関や企業あるいは選手団へ大挙して押しかけ、筋違いな抗議や威嚇などをすることが容易に想像できて、危惧する人たちも多い。
今回、チベットの人権問題に対する抗議を、数に頼んで押し込めようとしたのかも知れないが、それが返って様々な問題を世界にアピールする結果になった。

聖火リレーの問題でも、もっとIOCにはしっかりとイニシアチブを取ってもらいたかった。
前回のアテネは、オリンピック発祥の地なので聖火が五大陸を周る意味も解かるが、IOCは、中国にアテネと同じ事をなぜ許可したのかが解からない。
この五大陸を聖火が通るということと、聖火防衛隊の行為に、中国政府の中華思想(中国は世界の中心で周りを見下す)が垣間見えるようで嫌だ。
アテネから、かつてのシルクロードを通って北京へというコースの方が、歴史的意味もあり、中国でのオリンピックというドラマ性もあったと思うのだが。

中国は悠久の歴史の中で培ってきた先人たちの知恵がある。
広大な領土を、他民族他宗教を、どのように統治して国や民を安んじてきたかは、むしろ封建制での多くの賢帝たちに学ぶところがある。
今の中国共産党独裁は、ある意味では秦の始皇帝時代のようでもある。
文化大革命は現代の焚書坑儒でもあり、多くの有形無形の財産の無くした。
今日の様々な問題の先のあるものは先人の歴史の中にあり、また、それは繰り返すことも中国の悠久の歴史が語っている。