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2008.04.18
わすれな草
唐突に「忘れな草」の青い花の色に惹かれて、いくつもの株を買い集めた。
オレンジ系のミニバラとの取り合わせが気に入って寄せ植えにしたり、多きな鉢に忘れな草だけをまとめて植えたりしている。
この花の青は「憂い」の色だという。
名前の由来はドイツの伝説で、騎士ルドルフが恋人のベルダのため、ドナウ河の岸辺に咲く青い花を摘もうとして、急流に落ちて死んでしまう。
流されながら、最後の力をふりしぼって岸辺の恋人にこの花を投げ「私を忘れないで」と言ったとか。
そこで付けられた名前が「Vergiss-mein-nichtl 私を忘れないで」、英名「Forget-me-not」
というわけである。
上田敏の訳詩(「海潮音」)にドイツの詩人ウィルヘルム・アレントの「わすれなぐさ」というのがある。
ながれのきしの ひともとは みそらのいろの みずあさぎ
なみ ことごとく くちづけし はた ことごとく わすれゆく
中学の頃、上田敏の訳詩(「海潮音」)のいくつかを友人と競って暗記した。
一番有名なのはポール・ヴェルレーヌの「落ち葉」(秋の日のヴィ[旧カナ:ヰ゛]オロンの ためいきの 身にしみて うらがなし…)だが、この「わすれなぐさ」も忘れられない。
まだ人生もろくに知らず、ただいくつかの詩の音の響や韻律に惹かれ暗記していただけで、この詩も、忘れな草そのものには殆ど興味がわかなかった。
なぜなら、騎士ルドルフの伝説は、小さな花ごときで河で命を落とす間抜けな騎士のおかげで、可憐な花もすっかり興ざめだったのだ。
それよりも、“みそらのいろの みずあさぎ”の「みずあさぎ・水浅葱」という言葉にとても惹かれた。
水浅葱は水色に少し灰色を混ぜた色だ。
いつか、この言葉を使って自分も詩を書いてみたいと思っていた。
それが実現したのはずっと後で、結婚前後の頃、スキー仲間で詩の同人誌を出していて、
5月の頃を詠った詩で使った。
なぜ同人誌かというと、後輩に熱心な者がいてさかんに勧めるので、皆、面白がってその話に乗った。
数年続いて、6冊ぐらい自費出版したが、後輩がグループを抜けたのと、それぞれも社会人として忙しくなり、また結婚・出産などで自然消滅した。
約半世紀を経てめぐり合った忘れな草は、今、みずあさぎの花を沢山咲かせている。
それは、アメリカンブルーのような鮮やかな花色ではなく、ヤグルマギクの青でもない。
日本の風土や伝統の中で培われた日本人の色に対する感性はとても豊かである。
そして、日本固有の色彩や色名はとても豊富だ。
例えば、青系(青・藍・紺)の色彩だけでも40種くらいあって、その一つ一つの名称も詩的だ。
それは、緑系から続く色に新橋色(金春・こんぱる色:新橋芸者に好まれた色)、浅葱、水浅葱、花浅葱、御納戸色(くすんだ緑がかった青)、鉄納戸、藤納戸、水色などがあって、緑の微妙な分量や灰や紫の配合や色の濃淡、明暗によって色合いが違ってくる。
その他にも、空色、天色(あまいろ)、青、群青、秘色(ひそく:青磁色)、覗き色(瓶覗き:藍瓶にほんの少し浸したもので薄い青)、藍、薄藍、濃藍、青藍、褐色(かちいろ:黒く見えるほど色の濃い藍)、青褐、褐返し(他の色を染めた上から藍をかける)、藍鉄、藍錆、縹色(はなだいろ・花田色:浅葱と藍の中間色)、薄縹、浅縹(一番薄い縹)、瑠璃色、紺瑠璃、紺、紺青(こんじょう:群青の紫の多いもの)、紺藍等々、濃淡や明暗、灰や紫の微妙な配合によって違ってくる。
現代では、染色などの専門家でなければ、名前だけでは色彩の想像がつかないものもある。
ちなみに、「忘れな草色」というのもあって、これは紫系である。
ヨーロッパ原産の「忘れな草」は、“私を忘れないで!”というが、日本には古代より「忘れ草」というのがあった。
ユリ科の「ヤブカンゾウ」のことで、中国では「忘憂草」といわれキスゲに似た黄色(オレンジ系)の花は食用(中国食材の「金針菜」)になり、根は薬用になる。
名前の由来は、花が咲いても一日で萎んでしまうためだといわれる。
この花を身につければ、辛い事を忘れられると思われて、数々の古典に登場する。
万葉集の第三巻には、九州・大宰府に赴任した大伴旅人が“懐かしい香具山の故郷を忘れられない辛さを忘れるために、着物の紐に忘れ草を結び着けた”という歌が載っている。
わすれ草 わが紐につく 香具山の 古(ふ)りにし里を わすれんがため
その他にも、古今集や土佐日記、伊勢物語、源氏物語、その他の古典に多く登場するが、実際には、古人は掛詞や言葉遊びで「忘れ草」という言葉を使っていたということもあるらしい。
“忘れないで”という花は小さく可憐で憂いの色だけれど、“忘れたい”花は大きく黄色の鮮やかな花だ。
ヤブカンゾウの花は好きでも嫌いでもないが、一株に小さい花が密集して、“忘れないで 忘れないで”といつまでも囁かれるよりは、たった一日で“忘れたい 忘れる 忘れた”というほうが、何だかきっぱりとしているように思うのだが。
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