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2008.04.13
北京オリンピック
中国のチベットへの対応に抗議して、「北京オリンピック」の聖歌リレーにあちこちで激しいデモや妨害が起きている。
フランスのサルコジ大統領は、パリでの抗議行動に関して、“民主主義下では当たり前のこと“と述べたとか。
早くから、大統領の開会式不参加などがささやかれてはいたが、さすがは「フランス革命」の自由・平等・博愛の国と感心した。
聖火を護衛する中国の聖火防衛隊は、特殊警察学院の精鋭で総勢70人もいるそうだ。
サンフランシスコでは、直前でコースを変更し、途中から車両で運んだ。
ちなみに、アメリカ政府は聖火防衛隊の聖火に添加する二人のみを残して、後の隊員たちの聖火への接近を拒否し、アメリカだけで警備をしたとか。
日本でも国家公安委員長は『(聖火防衛隊は)歓迎しない』と言っているが、中国からは、デモの禁止やプラカードの禁止、報道規制などを申し入れてきているという。
全く主権侵害も甚だしい。
北京でのオリンピックというと思い出すことがある。
1995年の第4回世界女性会議は北京で開催されたが、当時、中国政府はオリンピックの開催地に立候補して落選し、建設中のオリンピックスタジアムをこの会議に当てて国際的にアピールしようとした。
ところが、趣旨も内容もよく知らないで立候補してしまった。
国連主催の世界女性会議は、第1回開催地は南米・メキシコシティ、第2回目は北欧・オスロ、第3回目はアフリカ・ナイロビで、第4回目はアジア・東京が最有力であったが、中国が立候補したために北京に決定された。
この会議は、国連人権委員会や国連経済社会理事会、国連環境開発会議、世界人口会議などであぶりだされる女性に関する諸問題を各会議を経ての集大成として、課題を明らかにし、その解決のための「行動綱領」の採択までを行う会議であり、同時に各国NGOのロビー活動やフォーラムも開催される。
中国政府がそれを知ったのは会議の半年くらい前で、全く国際的にも馬鹿げた話である。
自国民を様々な面で押さえ込んでいる中国に、平等や人権・権利などを国内に持ち込まれては困ると慌てた政府は、今さら会議開催を辞退することもできず、それまで決まっていたオリンピックスタジアムや北京市内での開催を中止してしまった。
ようやく北京郊外の会場が決まったのは開会の数ヶ月前で、特に各国のNGO団体等が準備していたものが、急遽変更を迫られたり予想がつかなかったりして大変であった。
北京郊外の保養地へ全部を囲い込む事になったのだが、大きな会場が無く、開会式だけはオリンピックスタジアムで開会される事になった。
私も開会式とNGOフォーラムへ参加したが、北京のホテルにチェックインしてから開会式の人数がオーバーしたので参加できないという事を聞かされた。
私は個人で1年前から参加を決めていて、ニューヨークのNGO本部へも参加申し込みをしていたが、航空券やホテルなどは、日本のエージェントであるJTBに申し込んでいた。
JTBには出発の数日前に連絡が入っていたのか、北京に着くまで判らなかったのかは判明しなかったが、最初からミソが付いた。
結局、擦った揉んだの末に最終的には参加できたのだが、入場してみれば広い会場はまだまだ十分余裕があった。
参加できないという理由は、参加者に渡す記念品が参加申し込みの1/3くらいしか用意されていなかったかららしい。
記念品(シルクのハンカチ?)などどうでもよいのだが、足りないとなると当局のメンツに関わるのだろう。
開会式は中国らしい演出で、京劇あり、少数民族の歌や踊り、中国第一のピアニストの演奏やコーラス等々は大変良かったが、肝心の開会宣言やスピーチ等は公安のトランシーバーの音声が同時通訳機に混信して公安の中国語の大声しか聞こえず、何のために日本から予約していったのかもわからなかった。
日本人は一見中国人と見分けがつかないので、中国人との接触を恐れた当局は、私たちをホテルに缶詰状態にして、各階のエレベーターホールには常時監視員が居座っている。
会場とホテルをバスで移動するだけで、外出も許されない。
帰国前日の夜、気軽に食事に出かけた知人たちはすぐ公安に連れ戻された。
ある人は、旧知の中国女性がホテルに訪ねてきたので、ゆっくり話をするため部屋に通してしまったため、すぐ公安がとんで来て大事になってしまった。
欧米系や中東、アフリカ系の人たちが街を歩いているのを横目に見ながら、私たちはバスで移動である。
スタジアム入口でも、私たちは人民兵だか警察だかの人間にロープで止められているのに、怒ったアフリカ系の人たちがロープを乗り越えて入って行っても、彼らたちは言葉が通じないためか、それとも相手の体格に圧倒されたのか阻止しなかった。
フォーラム会場も公安がいたるところにうろうろしていて、一応カメラマンや記者を装っているらしいのだが、あまりの多さとあからさまな態度に、すぐに誰が公安か見分けがついてしまう。
中国で開催されながら、中国女性の一般参加者はいない。
国内には緘口令が敷かれていて、レズの団体が来るなどという情報操作をしていた。
そんな中でも、チベットの女性たちが現状を訴えに来ていたが、中国女性の3〜4人グループを装った監視がうろうろしているのを警戒しながらでは、大した話も出来なかったのではないか。
フォーラムは活発な意見交換や交流などで大変盛り上がったし、政府間会議も揉めに揉めたが最後は合意して、これからの指針となる「行動綱領」の策定と「北京宣言」が出され終了した。
しかし、開催国の中国には何をもたらしたのかはわからない。
帰国の前夜、朝はホテルのフロントが込み合うのを見越して先に精算をしてしまった。
ところが、翌朝出発時間になってもバスが発車しない。
私と友人と二人がまだ精算が済んでいないので、出発できないという。
何かの手違いかと思って慌ててフロントに行くと、寝耳に水の「建設税」なるものを払っていないと言う。
その税の徴収が前から決まっているのなら、JTBからも説明があるはずであるし、前夜の精算時に徴収できたはずであるが、どうも、急遽徴収する事になったらしい。
当時の北京市内は建設ラッシュで、冷房の無いバスの窓から土埃が大量に入ってきて、口の中までざらざらしてくる。
そんな経験をさせられたのに、何で「建設税」まで支払わされるのか。
全く、何でもありのやりたい放題である。
あの建設税が、今回のオリンピックに繋がっているのだろう。
今回の中国念願のオリンピックは、長年のチベットの人権抑圧問題が国際的に注目され、、また1995年の時のように、オリンピックスタジアムを人民兵が周囲を取り囲み、多くの公安がうろうろするのだろう。
中国がオリンピックで国威高揚を狙うのはわかるが、市内の大気汚染の問題や、選手村の食の安全性の問題などは二の次で、大量の犬や猫を虐殺し、言論を抑圧し、情報隠蔽や情報操作をして、表面的には成功させたとしても、後に自国民に何が残るというのだろうか。
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