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2008.04.01
京都行
先週、京都へ行ってきた。
今回は桜が目的ではなく、7才の孫と二人で日帰りという強行軍だったが、子どもの目線での京都も結構楽しかった。
最初は、ディズニーシーへ行こうと誘われていたのだが、アトラクションはめまいの発作が怖くて乗れるものがあまりなく、春休みで人出の多いのも気が重くて勘弁してもらった。
そこで、東武の「スペーシア」に乗って、日光へお猿と猫と象(東照宮の彫刻)を見に行くコースを提案したが断られた。
あれこれ代案を出して、結局、新幹線のN700系に乗りたいと言うので、最終的に京都へ行くことになったのだ。
ところが、孫の春休み中の予定が多くて日程が取れず、日帰りの強行軍となった。
早朝の「のぞみ」で行って、夕方にはまた「のぞみ」で帰るとなると、京都滞在は約8時間半である。
忍者好きの孫の喜びそうな「東映太秦映画村」をメインにして、代表的な金閣寺と清水寺へ寄って帰るというコースにした。
京都駅から映画村まではタクシーで行き、帰りは映画村から観光タクシーの3時間コースで、金閣寺〜清水寺〜京都駅までを回ることにした。
移動に時間がかかるが、なぜこの二ヶ所かというと、金閣寺(鹿苑寺)の金色の舎利殿と、清水の舞台は一度見せておきたかったのと、清水の近くには子どもたちも知っている弁慶の伝説か残っているからである。
清水坂へ通じる松原通りの鴨川にかかる松原橋は旧五條橋で、牛若丸と弁慶がはじめて出合い、闘って弁慶が牛若丸に負けた橋である。
国道一号にかかる現在の五條大橋は、豊臣秀吉が区画整理をしてかけた橋で、五條橋の名前も取り上げてしまった。
ここには、弁慶と牛若丸のモニュメントがあるので、ここが有名な五條橋だと思ってしまうのだが、実は、それよりも一本上流にかかる松原橋が弁慶と牛若丸のゆかりの橋で、大男の弁慶が仁王立ちしたら橋一杯になってしまうような幅の狭い橋である。
また、清水寺には、弁慶の履いたといわれる鉄の大きな下駄や、大きな鉄の錫杖がある。清水坂は、昔話の「一寸法師」が鬼退治をしたところでもある。
京都行が決まってから、男の子が興味を持ちそうなところをレクチャーしながら、一方で、昔の京都は、妖怪や鬼もいる町だったなどと怖がらせておいた。
また、小野篁が、夜ごとに地獄のえんま庁へ通ったという井戸や、えんま様の像がある六道珍皇寺(六道の辻・あの世とこの世の境)、一条戻り橋や千本えんま堂(ここも小野篁と閻魔様の像が祀ってある)の話なども聞かせておいた。
[小野篁は平安時代の高官で詩人で歌人。身長186cm博学多才の人で直情径行、奇行が多かったため、夜はえんま様の書記を務めていたという伝説があり、六道珍皇寺にある井戸から地獄まで行き、嵯峨野の福生寺(廃寺)の井戸からこの世へ戻ってくるといわれていた。
京都には古くは3ヶ所の葬送(風葬)の地があり、東は六道珍皇寺のある清水の辺りの鳥辺野(鳥辺山)、北は千本えんま堂(引接寺)のある蓮台野(船岡山)、西は奥嵯峨野の化野である。
この3ヶ所の近くには、あの世とこの世の境界としてそれぞれ小野篁とえんま様を祀るお寺があるが、怖いえんま様の審判を、小野篁に何とか口添えをしてもらって地獄行きから救ってもらいたいという庶民の願いだろう。]
当日の天気は、当初の予報で曇りのち雨ということだったが、幸にもお天気に恵まれた。
映画村へは午前10時頃に着いたが、春休み中とはいえ平日なので比較的空いていた。
仮面ライダーなどのヒーローショウや、ちゃんばら教室も無かったが、(土日だけ開催)
扮装写真館で忍者の扮装をして写真を撮ってもらったり、「猿飛佐助」の忍者ショウを観たりで、孫はとてもご満悦だった。
また、映画撮影の舞台裏を紹介する「映画のヒ・ミ・ツ、うそ、ほんと」では、監督役と、ヒーローの新撰組隊士と、悪者の忍者の3人の掛け合いが大変面白くて大いに楽しんでいた。
大道芸の「南京玉すだれ」も気に入ってしまって、家にある海苔巻きのすだれでも出来ると思ってしまったようだし、「男たちの大和」の展示にも興味を示していた。
何よりも気にいったのが手裏剣投げのゲームで、3本の十字手裏剣のうち二本が的に当たり、しかも
1本は中心に当たった。
特撮プールでは、水中から怪獣が現れたり、奉行所や牢獄なども見て回って、孫いわく『京都は大人の町だと思っていたけど、こんなに楽しいところがあったなんて知らなかった』。
3Dの忍者アクションの乗り物に乗って、これも大いに楽しかったらしい。
最後は、忍者ショップで手裏剣とクナイのセットと刀をお土産に買って、あっという間の4時間半だった。
午後2時半に映画村の入口へ観光タクシーに迎えに来てもらって、金閣寺へ向かった。
途中の御室は京都でも桜の開花が遅い地域で、仁和寺の門前の桜もまだ蕾だった。
金閣寺の辺りは京都駅から100mの高低差があって、駅の近くでは桜が満開でも、この辺りはまだまだというところか。
京都は歩いて回りたいところだが、坂が多くて体力がないと歩けない。
仁和寺、竜安寺、金閣寺と巡る「きぬかけの道」もかなりの坂道である。
金閣寺は、外国人の団体や個人の観光客が多く、至るところで中国語や英語が飛び交っていた。
今回、孫には使い捨てのカメラで自由に写真を取らせていたが、総門を入ってすぐのところにある鐘楼が気に入って写真を撮っていた。
舎利殿のある鏡湖池の周囲は人が一杯だったが、孫は小さいので人垣の隙間からベストポイントで写真が撮れた。
なぜか舎利殿の裏の方の庭園が気に入って、苔がきれいだとか、木立の奥の方の朽ちかけた東屋や池の鯉などを撮ったり、草むらに日本トカゲを見つけてしばらく覗き込んでいた。
面白いもので一人が覗き込んでいると、いつの間にか同じくらいの小学生が何人か寄ってくる。
わが子だったら『そんなの見てないで早く行くわよ』と言ったと思うが、孫となると行動を観察しながら待っていられる余裕がある。
孫いわく『金閣寺も気に入った』そうである。
京都三大松の一つで有名な舟形の「陸舟の松」も垣根越しだがよく撮れていた。
清水寺へ向かう途中で、松原通りから松原橋を通ってもらった。
車が一台しか通れない幅の狭い橋なので、孫はここで闘ったら川に落ちてしまうのではないかと思ったらしい。(昔はもっと狭かったらしい)
橋を渡って真っ直ぐ行くと六道珍皇寺だが、ここのえんま様はお堂の格子戸越しにしか見えないので、運転手さんの提案で近くの六波羅蜜寺のえんま様を見に行くことにした。
六波羅蜜寺は平清盛の屋敷跡でもあり、念仏を唱える口から六体の阿弥陀様が出ている空也上人立像のあるところでもある。
えんま様は左右に脇侍と脱衣婆(三途の川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆)を従えていた。
運転手さんからは、ミニ知識として龍の見分け方を教えてもらった。
それは、日本の龍は爪が三本、韓国は4本、中国が一番位が高く5本とのこと。
爪を見てどこの国の龍かわかるという話だが、ちなみに龍は、インドのコブラ(最強の蛇)が中国へ
入って龍になったのだそうだ。
この後、すぐに清水へ行ってもよかったのだが、時間があったので運転手さんが、清水寺の裏の方にある西村京太郎邸と山村美沙邸の前を通ってくれた。
山村邸は、今でも娘で女優の紅葉さんが住んでいるとのことで、直接道路に面した玄関の素通しのガラスの中には、表に向けていくつもの胡蝶蘭の大きな鉢と故人の愛用と思われる赤いドレスが飾ってあったが、訪れるファンや観光客へのサービスなのだろう。
八坂から霊山観音のわきの坂道を上って、急坂を下って行くか、三年坂のわきの急坂を登って行くしかないところである。
三年坂(産寧坂)を登りながら、孫に『ここで転んだら三年後に死ぬといわれている』と言って脅かしたので、かなり慎重に階段を上って行った。
坂の途中に枝垂桜がほぼ満開で咲いていて、観光客が皆立ち止まって写真を撮るので、人の流れが詰まっている。
清水坂もかなりきつい坂だが、ラッシュの駅のようにごった返していた。
そのまま、清水の舞台まで人ごみが続いていた。
弁慶の大きな鉄下駄や錫杖の周りも人垣で一杯だったが、何とか近づいて下駄を持ち上げたり錫杖に触ることはできた。
舞台も大勢の人で一杯なので、孫はあまり興味が無いようだった。
舞台から音羽の滝へ下りる急な階段を下りて舞台の下へ行ったが、やはり桜はまだ蕾だった。
孫は、崖の下の谷底や池の水面を撮ったり、山を撮ったりと興味が違うところにあるようだ。
帰りも清水坂の人ごみにもまれ、ソフトクリームを食べながら歩いている人にぶつけられないように気をつけながら、三年坂でも桜で足止めをくいながら何とかタクシーの待っているところまでたどり着いた。
孫の撮った写真の総数は91枚で、中には指がレンズにかかってしまったものやフラッシュを忘れて、暗くなってしまったものなどもあったが、全体として、初めてにしてはまあまあの写真が撮れていて、子どもの目線がわかって面白かった。
次回は、どこへ行こうか、今から楽しみである。
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