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2010.01.09 (Sat)

江戸の父親たち


1月5日夜、NHK教育TVで「大江戸子育て事情」という番組をやっていた。
江戸時代、子どもは「家」やその財産、格式などを受け継ぎ、さらに次代へつなげる重要な役割を担っていた。
その子どもを大事に育て、一人前にする役目を背負っていたのは父親であり、江戸時代は父親の子育て熱の盛んな時代であったという。
それは、藩主から農民にいたるまでの様々な立場の人が書いた多くの「子育て論」からも伺えるという。
また、江戸時代の人々は、親だけでの子育ては難しいことをわかっていて、地域全体での子育て体制を作っていたという。
医療も発達していない時代で乳幼児の死亡率も高く、子どもを立派に成長させることは大変だった。
そのため、成長の節目節目の通過儀礼を大切にして、地域全体で子どもを見守る体制を作っていたが、それが「仮親」である。
これは、一人の子どもに、義理の親として何人もの大人が関わって地域社会の「絆」を深め、生涯にわたって子どもを見守っていくというものである。
「仮親」は、妊娠中に「岩田帯」を送る《帯親》からはじまり、出産に立ち会い、へその緒を切る《取り上げ親》(産婆とは別)、出産直後に抱き上げる《抱き親》、名前を付ける《名付け親》、赤ん坊を初めて戸外へ連れ出して行き会った人を《行き会い親》、赤ん坊が丈夫に育つように形式的に捨て、それを拾って育てる《拾い親》→後日、実の親が貰い受けるなど等、さらに成人するまでには何人もの仮親がいて、最後は結婚時の仲人まで親が存在していた。
そして、これらの親たちは、子どものセーフティーネットとして、生涯にわたって見守る役目を持っていたという。
また、この「仮親」が、“父親たちの子育て”を支えていたという。

江戸時代後期に、現千葉県旭市で農民を指導し、世界初の農業協同組合といわれる「先祖株組合(1838年)」を創設した大原幽学(1797~1858年)は、飢饉で荒廃した村人たちの心を取り戻すためと、未来を託す子どもの教育を兼ねて、「換え子教育」の実践に取り組む。
これは、6歳~14歳くらいまでの年齢の子どもたちを、1~2年位ずつ実の子と他人の子を換えて育てるというものである。
これは、格式やしきたりが違う家庭に子どもを預けて教育してもらうことであり、貧しい家の子は裕福な家へ、裕福な家の子は貧しい家へ預けられたという。
そして、親たちが、どの子も我が子のごとく区別なく可愛がることで、人心の荒廃をくい止め、地域の絆を取り戻していこうというものである。
この換え子は、幽学の死後も明治期まで続いたという。

江戸期の父親の「子育て論」を調べてみると、むしろ親を戒めているものが多いと感じる。
幼児教育に「三悪」といわれるものがあり、「表裏」「臆病」「傲慢」の三つの排除である。
「表裏」は、親が子どもに対してその場限りの嘘をつくと、子どもも嘘をつくようになり「表裏」のもとになるから、親は子どもに対して嘘をつくなという。
子どもが言うことを聞かないからといって、怖い話をして脅かせば「臆病」のもとになる。
子どもが気に入らないからと、(子どもの気に入るように)親が道理をまげて知らん顔をしていると「傲慢」のもとになるというものであり、どれも親自身の態度を戒めている。
また、厳しい教育と折檻(体罰)は別で、まだ体のしっかり出来上がっていない子どもに対しての折檻は、親が病気の種を植え付けているようなものだと諫めている。
あるいは、折檻は子どもに恨みを抱かせてしまい、結果的に子どもを悪い方へ向かわせてしまうと戒めている。
子どもを褒めればそこで止まってしまうので、褒めてはいけないというものもあれば、幼い子にも道理を尽くして語り、子どもも褒められれば嬉しくてさらに頑張るという、現代でいえば「褒めて育てる」というのもある。
一番尤もだと思ったのは、悪くなってしまった子に対する接し方だ。
大人に対する礼儀がないからといって怒ってはいけない、礼儀を教えられていないものに怒っても意味がない、まず、その子の善いところを一つ認めてやることから、人間関係を作っていき、大人自身が自分の親のことを思い出し、自分自身の真の気持ちをその子に語るべきだという。
つまり、口先だけのお説教や教訓は、相手の心に響かない、子どもを、表裏のない真っ当な人間に育てるには、大人自身も表裏のない真っ当な人間でいるということだ。
そして、これらの「子育て論」の根底にあるのは、子どもを大事に育てるという思想だ。
さらには、「子どもは預かりもの」で、戸主であってもその自由には出来ないという思想だ。

かつて、世界で一番子どもを可愛がる民族は、日本人とロシア人といわれた。
可愛がられて育った子は、従順で優しい子になるといわれた。
しかし、日本人は「表裏」のあることは悪で、「陰、日なたがない」ということを美徳とし、「いつでも、お天道様が見ている」ということ行動規範としてきたことから見ても、単に親や目上、体制などに対する従順さを求めたものではないと思う。
三悪のうちの「臆病」は、冷静さを欠き、時としてとんでもない暴走を招き、自身も周りをも危機に陥らせかねない。
「傲慢」はトラブルの種であり、孤立や組織の崩壊を招きかねない。
これらを三悪とした教育は、個々の家の存続ばかりではなく、地域社会を助け合いの優しいものにし、円滑に運営していく知恵ではなかったかと思う。

松井今朝子氏の小説「吉原手引草(よしわらてびきぐさ)」の中に、興味深い一文がある。
吉原遊郭の大見世(一流の妓楼)では、その見世の看板となる花魁(格式の高い遊女・「呼び出し」と呼ばれる遊女)を育てるのに、手間ひまとお金を十分にかけて磨き上げる。
まだ物心つくかつかないうちに売られてきた幼女の、目鼻立ちや髪の色つや、性格を楼主がじっくりと見極め、楼主自らが大名の姫君を扱うように懇ろに育て、様々な習い事もさせて、一流の花魁に育てるという。
文中で、遣手(やりて・見世の中で遊女たちを管理、教育する従業員)が『真にいい花魁は客人にあまり媚を売ったりしないで、おのずと人好きがするようにできている。たいがいは物心つかないうちに廓に来て、お蚕ぐるみで大切に育てられたからそうなるんですよ。まわりがやさしくすると、当人もおのずとまわりにやさしくできるんで、その手の花魁がそばにいたら、お客人ばかりじゃない、見世の者だって男女の区別なくだれもがいい心持ちになれるもんです。
見てくれは化粧や衣装でどうにでもごまかしがきくが、人好きがするかどうかはやっぱり持って生まれたもんと、育ちが大きくものをいって、あとから身につけようとしても難しい』と言っている。
どのような世界でも、人に対する優しさが、人間関係の潤滑油として求められていたのだろう。

江戸時代は、貧しさからの堕胎や間引き、幼くして奉公に出される子や売られる子たちも沢山いて、子どもたちにとってよい時代だったとは思わないが、少なくとも大人たちが真っ当な子育てをしようとしていたこと、地域社会の絆を深め、人間関係を円滑に運営しようと努力していたことを改めて知った。


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