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2008.01.25
川の流れのように
一昨年、昨年と続けて大晦日の紅白歌合戦へ出場し、一気に人気を集めたいわゆるイケメン歌手のAさん。
「○様」「貴公子」などと呼ばれて女性に大人気だそうで、CDの売り上げもオリコン・チャートで上位だとか。
紅白での歌は歌詞が多くの人の心を打つので、そのためということもあるのではないか。
Aさんの歌をテレビ番組で聴く限りだが、『えっ?』と思った。
素人の私がただ自分の耳のみで感じるだけだが、歌が上手くないし、声もそれほど良いとは言えない。
この間、オペラ関係者との話の中でAさんのことが話題になったが、やはり多くの人たちが私と同じように思っている事を知った。
Aさんは自分の限界や才能などいろいろ悩んでの選択だろうから、歌が下手でも上手でも、人気があろうが無かろうがどちらでも良いのだが、本格派の人たちは納まらないらしい。
例えば、あるオペラ歌手がコンサートで同じ歌を依頼されて歌ったところ、観客から『Aさんより上手い歌を、はじめて聴きました』と言われ、陰で(情けなくて)泣いたという。
要するに、同列として扱わないで欲しいということである。
歌謡曲の歌手という肩書きだったら、ひどい事を言われることもなかったのかもしれないが、同じ業界の肩書きを持つため、内々では音大生並みの実力などといわれてしまう。
Aさんの音大時代、同期に三人のAさんがいて、3Aとして有名だったらしい。
その中の一人は早くからオペラデビューを果たし、ドイツオペラの某首席演出家に認められ…というか輝かしい経歴で活躍中である。(音程がよくないと言われているが)
二人目も、早くから多くのオペラの舞台で活躍中の若手である。
三人目のAさんは、他の二人には大分遅れたが、やっと日の当たる場所へ出てきた。
有名セレブのD夫人の引きでテレビに出たという噂もあるが…
Aさんは、美空ひばりの歌も歌っているが、それで思い出した人がいる。
あるオペラ歌手のBさんのことである。
Bさんは、日本人にはあまりいないソプラノ・ドラマティコである。
ソプラノには4〜5種類あって、一番軽いのからレッジェーロ(コロラトゥーラ)、リリコ・レッジェーロ、リリコ、リリコ・スピント、ドラマティコとなる。
ドラマティコは、ソプラノの中で一番低く太く強い声で、「ツーランドット」の“ツーランドット姫”や「トリスタンとイゾルデ」のイゾルデのような強いお姫様や女王役など、劇的な表現の強い役が多い。
かの有名なマリア・カラスは、ドラマティコ・アジリタ(コロラトゥーラまで出せる)として稀有な存在だった。
ドラマティコのような低い太い強い声を出せるのは、その人のもって生まれたもので、高い声は訓練によって出せるようになる。
彼女は、在学中からその才能を認められていたが、残念ながら日本人の多くは軽い高いソプラノ、鈴を転がすという表現があるように、きれいな声でコロコロ転がすようなソプラノが好きなようだ。
やはりドラマティコで、世界的プリマだったあの東敦子さんでさえ、日本ではあまり役がなかったという。
また、オペラでのソプラノの役は、リリコやリリコ・スピントなどの声が一番多い。
リリコやリリコ・スピントの役が歌えたとしても、ドラマティコの新人の彼女まではなかなか回ってこない。
それでも、彼女の声を愛し、何事も一生懸命な彼女を物心共に応援する人たちはいた。
ある時、自分の道をいろいろ悩んでいた彼女に、「先生」と呼ばれる占い師が近づいた。
その頃は彼女の尊敬していた恩師がなくなり、他にレッスンを受ける師を見つけられないでいる時期でもあった。
彼女の純粋さはその「先生」の言う事をすぐ信じてしまい、改名したりCDを出したりした。
そのうち、自分が主催するコンサートで、美空ひばりの「川の流れのように」や「愛燦燦」などを歌うようになった。
その「先生」が、それをやっていけと言ったという。
応援していた人たちは、「先生」から離れるよう何度も忠告したが、彼女は誰の言う事も聞かなかった。
私も、美空ひばりの歌は素晴らしいと思うが、しかし、何で彼女が歌うのかが理解できなかった。
彼女のサロンコンサートへは二度ほど行ったが、いつも、その「先生」と取り巻きの中年婦人たちが、VIP気取りで陣取っていた。
一回目は席が離れていたのでわからなかったが、二度目によく観察をして見ると、「川の流れのように」を彼女が歌いだすと、中年婦人たちはうっとりと彼女を見て口を動かしている。
それは、オペラ歌手としての彼女の歌を聴いているというよりは、自分たちの好きな歌を、、自分たちのために歌ってくれているという満足感と、それを満たして高尚な気分にしてやっているという男(先生)の優越感しか見られなかった。
彼女が本当に歌いたいのなら、ベルカントではなく、日本語の歌を勉強してから歌うのならよい。
私には、彼女の歌もなぜか媚びているようで、気持ちが悪くて聴いてはいられなかった。
オペラは、毎日レッスンに励んでいないと歌えない。
それなのに、彼女はレッスンも止めてしまい、自己流のレッスンだけになってしまった。
オペラのことなど何も知らないインチキ占い師に、あたら才能を潰される事に非常に腹が立ったが、彼女は『みんなが喜んでくれるから』と信じて疑わない。
結局、それまで応援してきた人たちは離れてしまった。
最近になって、やっと彼女も気がついてその「先生」から離れたという噂を聞いた。
しかし、7年間のブランクは大きい。
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
どうか、研鑽に励んで、またオペラの舞台に立てるように。
2008.01.21
ケタミン
麻酔薬に「ケタミン」というのがある。
呼吸抑制や血圧の降下が少なく麻酔も醒めやすいなど、他の麻酔薬に比べて比較的安全性が高いなどから、人だけではなく動物用麻酔薬として広く使用されていた。
野生動物保護のための麻酔銃などにも使われていたものである。
ところが、厚生労働省は平成17年12月に「麻薬指定」をして、医療機関の廃棄・代替への移行期間を置いた平成19年1月1日からは「麻薬取締法」の一部として施行した。
人の医療機関などは、すぐ院内での取り扱い中止などにしていったが、困ったのは動物を扱っている獣医師たちであった。
動物病院だけでなく、大学の研究機関などもそうである。
多くの獣医師が「麻薬施用者免許」を取得して、専用の保管庫を用意したにもかかわらず、今度は、製薬会社が製造を中止する。
取り扱い業者も、その薬を運ぶ営業の個々人が免許を取得しなくてはならない事や、厳重な保管や管理が大変なため取り扱わなくなったところが多く、たとえ薬があったとしても、獣医師には入手が非常に困難になった。
動物にとって比較的安全な麻酔薬が使用できなくなって、代わりの麻酔薬に切り替えると、他の処方や方法等も変わり、慎重に取り組まなくてはならないので、かなり大変な事であるらしい。
なぜ、このような事になったかというと、人がこの粉末を鼻腔や口から吸引すると一種の臨死体験?や幻覚症状が得られるということで、若者たちの間で「ドラッグ」として売買され、しかも、この薬による外国人の死亡事件なども起きたからである。
昨年、有名ミュージシャンのセレブ妻が、ケタミンの不法所持と使用容疑で逮捕された事件もあったので、覚えている人も多いかもしれない。
しかし、このケタミンは、副作用として悪夢を見たり、あらぬ事を口走ったりということで有名な薬で、ハッピーになって天国を味わうというより、地獄を覗いて暗い気持ちになると思うのだが、それでも、わざわざ地獄に落ちたいのだろうか。
ケタミンを少量にして鎮痛剤としても使用される。
私は、十数年前に胆嚢摘出手術を受けたが、術後に硬膜外から鎮痛剤として注入されていた。
硬膜外というのは、簡単にいうと脊髄の一番外側の膜を破らずに針を寸止めし、そこからカテーテルを挿入して局所麻酔をするのが硬膜外麻酔だが、術後もそのカテーテルから連続して鎮痛剤を投与できるので、患者にとっても負担が少ないのだ。
痛み止めと睡眠ということで、毎晩、担当医師が鎖骨に留めたカテーテルからケタミンを注入してくれる。
薬を入れるとすぐに眠ってしまうのだが、ずっと変な夢を見ている。
それは、毎回小さな子どもが出てくる一見他愛も無いような夢で、その子どもたちは、我が子の幼い頃の姿であったり、知り合いの子の幼い頃の姿であったりするのだが、なぜか私は、その子やその親に何かを伝えようとして叫ぶのである。
その自分の叫び声というか、実際には言葉になっていない『うっ』とか『ぶぁ』とかいう声で目が覚める。
自分では、思わず大声を出そうとして目が覚めたので声は出していないと思うのだが、同室の人には、毎晩迷惑を掛けているのではないかと、目が覚めるたびにヒヤヒヤしていた。
そんな事を繰り返しているうちに、不思議な夢を見た。
それは、辺りは真っ黒というより、黒い空間の中にそこだけ外灯のような、あるいは灯明のような赤っぽい明かりがあって、私はそこに立っている。
はっきり周りを見ようとしても、まぶたから上は真っ暗で何も見えず、まぶたを上げることもできない。
傍には3〜4歳くらいの小さな女の子が立っていて、私をじっと見上げている。
女の子は、赤い綿入れの半てんを着ていた。
どこかで見たことのある子だと思ったが、全く思い出せない。
私は、小さい子がこんな所へ一人で来てどうしようなどと困惑して、その子をじっと見つめている。
そこへ、30〜40代のやはり縞の半てんを着た小太りの女性が斜めの暗がりから近づいてきた。
私は、なぜか『あぁ お母さんがこの子を迎えに来たのだ』と思ったところで目が覚めた。
この夢は、最後まで無言で終わり、今でもその場面の一つ一つを色彩までも思い出すことができるせる不思議な夢だった。
以後、私は夢に疲れて、翌日からの鎮痛剤の注入を断った。
退院してからも、あの小さい女の子は誰だったのか、何でそのような夢を見たのかとずっと考えていた。
そして、ある日思い出した。
あの子にはじめて会ったのは、夢より十年前、まだ2歳くらいの時だった。
ある事情から、ほんのわずかだけれど世話をしたこともある。
どのような事情かは知らないが、養護施設に入っていて名前はみどりちゃんといい、色白の天然パーマの可愛い子だった。
当時、白血病を発症していてすぐに入院してしまった。
それから二年後、ある大学病院の小児科病棟で偶然見かけた。
みどりちゃんは、白血病で入退院を繰り返していたのである。
数日後、私は懐かしさのあまり、つい後先も考えずにお見舞いのぬいぐるみを持って病室へ行ってしまった。
病室へ入っていくと、みどりちゃんはベッドの中からいきなり『ねえ、みどりのおかあちゃん?』と真剣に何度も尋ねてきた。
私は、自分の軽率さを後悔した。
小児病棟は、入院している子どもの父母か祖父母しか入ることができない。
みどりちゃんのところへは、時々施設の先生らしい人が来ていることは知っていたが、両親も祖父母も来ることはない。
あの子は、他の子と同じように、自分のところへも母親が来てくれることをずっと待っていたのだろう。
私のことなど覚えてもいなかったのに、のこのこ会いに行って、あの子の心に波風を立ててしまった自分の軽率さが本当に嫌になった。
それから、すっかりあの子のことは忘れてしまった。
そして、私は、あの時と同じ大学病院へ入院していたのだ。
あの夢は、みどりちゃんが私に教えに来てくれたのだ。
あの子は、お母さんに会えた、お母さんが迎えに来たのだと解かった。
みどりちゃんがじっと私を見上げる顔と、あの小太りの女性の素朴な姿は今でも思い出すことができる。
あれは、ケタミンの副作用ではなかったのだろう。
悪夢とはまったく違っていたから。
2008.01.21
小泉チルドレン
昨年より、政局と共に衆議院の解散総選挙が近いといわれている。
この地域の選挙区にも、前回の「郵政民営化選挙」で当選した小泉チルドレンがいる。
前回は無名の新人で、我が家の辺りには殆ど選挙カーも回ってこなかったけれど、大量得票だった。
その後、あるイベントで一緒になったことがあるが、まだ政治家としてのオーラも無くて、他の地方議員たちが適当に帰った後も、秘書と二人で最後まで残って遊んでいった。
地域のイベントといっても、最後まで遊んでいくほど暇なのかと思ったことがある。
今年は 新年早々から広報車が回ってきて名前を連呼していたし、数日前には新聞に折り込み広告も入っていた。
次の選挙では、どのような結果が出るのだろうか。
最近、同じ小泉チルドレンのS議員の噂が出た。
当選当時から、その言動がいろいろメディアにも取り沙汰されてきたが、今回は公認されるかどうかという時に、またまた問題発言をして公認さえ危ぶまれている人である。
夫の知人が、例のその人とテニスをしたそうであるが、腕前は相当なもので、さすがはK大のテニス部キャプテンだという。
夫も、「同好会」ではなく「部」なのだから相当な腕前なのだろうという。
その話に相槌を打ちながら、どこかで違和感を抱いた。
そして、思い出したのは、学歴が違うということである。
当選当時、いろいろなメディアに取り上げられていて、経歴やスキャンダル的なことも流されていた。
それに公報にも、筑波大中退とあったと思う。
テニスは、高校の時に国体で優勝しているらしいし、それによって筑波大へスポーツ推薦で入ったとのことなので、確かに腕前は相当なものだろう。
K大の件は、S議員自身が言ったのかどうかはわからないし、知人が勘違いをしたのかもしれない。
また、K大が同好会ではなく、正式な部にも部外者を入れて、なおかつキャプテンにもすることがあるのかもしれない。
その辺のところはよくわからないが、以前、自分のブログでも他人の体験をその著作から盗作して問題になっただけでなく、その話を自分の事として、講演会等でも話していたという人だから、どうしても疑いの目で見てしまう。
もしかしたら、自分の人生に自信が持てないのかもしれないと、ふと感じた。
先日、小泉チルドレンの黒幕といわれる元秘書官が、テレビのインタヴューでS議員は『大分変わってきた』などと褒めていたが、政治家というにはあまりにもお粗末で、それ以前に人間としてまだまだ教育しなくてならない人間を、年間数千万もの血税を使って教育する余裕など、この国には無いだろう。
この人の大物ぶりのふてぶてしい顔を見ながら、育てたかったら私費でやってもらいたいとつくづく思った。
「改革」という名に隠れてアメリカの「要望書」通りの郵政民営化をして、今、それがどのような結果になっているかの総括も無く、一方ではチルドレンなどという理念も無い議員たちを大量に生み、今度は自分の公認問題しか眼中にないような人たちには、国民の生活などどこまで把握し考えているかなど甚だ疑問だ。
それでも、チルドレンを選んだのも国民である。
私は、小泉改革の郵政民営化には最初から反対していた。
しかし、多くの人たちは、特定郵便局長の様々な優遇体制に怒って、郵政民営化に賛成した。
それは確かに問題であったが、それをスケープゴートとして国民の前に差し出し、国民の目をそらして本質を隠した。
そして、スケープゴートに騙され飛びついたのは多くの国民である。
今、相撲の初場所中だが、朝青龍が負けると多くの人が喜ぶとか、ある横綱審議委員の著作が売れるなどと、芸能リポーターやスポーツ誌が騒いでいる。
私は、朝青龍の勝ち負けなど興味は無いが、どうしても腑に落ちないことがある。
昨年からテレビのワイドショウなどで、コメンテーターが「相撲道」だの「横綱の品位・品格の欠如」等と言い、メディアもそれに乗って一斉にバッシングをしていた。
しかし、相撲や横綱に品位や品格を求めるのならば、見る側にもそれなりの品格は必要だろう。
相撲道といって、武士道と同じような事を言っているコメンテーターもいたが、それならば、なぜ、場所前から場所中も、横綱の負けを多くの力士や多くの人が望んでいるなどということを公言するのかが解からない。
武士道というのなら、正々堂々と闘って、勝ったら素直に称えてやれば良いではないか。
横綱審議委員は、横綱を嫌っていることはわかるが、年頭である初場所中に、なぜバッシング本を発売するのか。
そうした人たちやメディアの品位・品格は問題にならないのだろうか。
相手力士の怪我などの弱いところを朝青龍は攻撃すると非難するが、同じ事をやっているのではないのか。
武士の情けという言葉は、もう無くなったのか。
今、世の中は何だかおかしくて、格差も広がり、不安や不満が渦巻いている。
そのはけ口のように、何かあると誰かをスケープゴートとして一斉にバッシングする。
少し立ち止まって本質をよく考えないと、形は変わってもまた第二第三のチルドレンが生まれないとも限らないと思うのだが。
2008.01.17
旧友の訃報
松の内が明けた昨日、旧友の訃報が届いた。
ガンが再発して、あと数日でお正月という日に逝ったという。
あまりにも突然だったので驚愕してしまったが、一方で、このような事は、これからよくある事かもしれないとも思った。
葬儀には参列できなかったが、お正月を控えてご遺族も連絡はできなかったのだろうと思うし、また、いろいろな意味で普段よりも気を遣われて、さらに大変だったのではないかと察する。
実際に彼女の現実を見ていないので、何だか悪い冗談のような気もするし、死んでしまったのだということも、何だか人ごとのような気がして、若い頃の彼女の笑顔ばかり思い出す。
中学時代からの仲良しグループで、結婚しても何人かは地元に住んでいたので、子どもたちがまだ幼い頃は、みんな一緒に子連れで旅行などもしていた。
また、彼女のところとは子ども同士が同じ小学校の同級生で、同じクラスになったこともあるので、いろいろお世話になった。
親しかった級友の訃報は今までに何度もあったが、若い頃は、亡くなった事実だけがクローズアップされて、悲しいしショックも大きいけれど、死ぬということは、やはりある意味特別な事であって、日々の暮らしの中で、子育てや諸々の雑事に追われているうちに消化されてしまう。
しかし、この年齢になると、死は身近にあり、やがて自分もその道を行くのだという感慨と、そして、それは遠い将来のことではないという寂しいような諦観がある。
同じグループだった別の旧友と電話で話をした。
歩いていける距離にいながら、お互いに忙しくて彼女とももう十数年も会っていない。
彼女は『あなたが死んだら、私行くからね。私が死んだら来てね』と言った。
でも、息子の代になったら連絡するかどうかもわからなくなるとも言う。
それはお互い様で、残った人が大変な思いをしないようにすれば良いのだからと、私も彼女も思っている。
親の介護の大変さも、葬儀の大変さもお互いに知っているからこそ、子どもたちにはそのような思いはさせたくないと思うのだ。
そして、『そんなに長生きはしたくないね』といういつもの話になり、『また会おうね。元気でね』と電話を切った。
もしかしたら、『また』はずっと来ないまま、また誰かの訃報に接するのかもしれないと思いながら。
2008.01.10
さようなら オペラ
久しぶりにオペラ関係で仕事をしている友人から電話があって、長々とおしゃべりをした。
今抱えている仕事の愚痴をたっぷり聞かされたが、父が退院したので、気分的には多少の余裕ができて付き合うことができた。
本番が近づいて、仕上がりが今ひとつだと、皆イライラしてくる。
ソリストのわがままにも困るが、ソリストは最初から自分中心でしか考えられない人が多いので、仕方がないという諦めもある程度はある。
しかし、スタッフの気が揃っていなかったり、仕事の理解が出来ない者がいたりしたら、イライラは頂点に達する。
私も、以前は本番一ヶ月前くらいが一番辛い時期で、資金繰りやスタッフとの意見の相違やチケットの売り上げ状況など、アレコレ考えると夜も寝られないほど追い詰められてくる。
その極限を開き直りで乗り切ると、『まぁ何とかなるだろう』という気持ちに切り替わってくるのだから、我ながら度胸がよいというか、能天気というか。
それを、性懲りもなく毎年繰り返していたのだから、大馬鹿かもしれない。
しかし、散々わがままに振り回された母が亡くなって、介護をしながらの活動の緊張の糸が切れてしまったら、活動を続ける気力も失せてしまった。
もう、いろいろな事を抱えて走り続けることに疲れ果てたのだ。
その後、父のことがあったり、体調を崩したりで、今は、カレンダーは殆ど空白である。
それでも、突発的に入る父の変化で、ホームへ駆けつけたり病院へ直行したりということがあり、のんびり暮らしているわけにもいかない。
友人と話しをしていると、また一緒に舞台を創りたいという思いもわずかに浮かんでくるが、やっぱり無理という思いのほうが強い。
友人もそれらしい話をするが、父のこともあるのでそれ以上は踏み込めないのだろう。
一緒に仕事をしていた私たちに共通する思いは、有名な舞台監督の言葉ではないが『ソリストは花、スタッフは根』であって、舞台で出演者を輝かせたい、そして、ソリストのファンではない一般の観客に内容で喜んでもらうために、精一杯の努力をするというものであった。
そのためには、スタッフとも喧嘩をしたし、強引に意志を通させてもらった事もある。
ものを創り上げていく情熱や苦しさ、幕が上がる前の怒涛のような忙しさと緊張感、幕が上がった後、一曲一曲を祈るような気持ちで見つめる緊張と安堵、観客を送り出すときの充実感は忘れられない。
それでも、もう私の中では過去になりつつある。
私は、友人の各演目の曲に対する造詣の深さや、一つの音に対する作曲家の意図した意味を理解する力とその表現力を尊敬している。
その友人の力があったからこそ、私のようなものでも何とかやってこられたのだから。
『でも、もう限界だよ。ごめんね』と言えずに、『じゃあ 公演の成功を祈ってます』と言って電話を切った。
今抱えている仕事の愚痴をたっぷり聞かされたが、父が退院したので、気分的には多少の余裕ができて付き合うことができた。
本番が近づいて、仕上がりが今ひとつだと、皆イライラしてくる。
ソリストのわがままにも困るが、ソリストは最初から自分中心でしか考えられない人が多いので、仕方がないという諦めもある程度はある。
しかし、スタッフの気が揃っていなかったり、仕事の理解が出来ない者がいたりしたら、イライラは頂点に達する。
私も、以前は本番一ヶ月前くらいが一番辛い時期で、資金繰りやスタッフとの意見の相違やチケットの売り上げ状況など、アレコレ考えると夜も寝られないほど追い詰められてくる。
その極限を開き直りで乗り切ると、『まぁ何とかなるだろう』という気持ちに切り替わってくるのだから、我ながら度胸がよいというか、能天気というか。
それを、性懲りもなく毎年繰り返していたのだから、大馬鹿かもしれない。
しかし、散々わがままに振り回された母が亡くなって、介護をしながらの活動の緊張の糸が切れてしまったら、活動を続ける気力も失せてしまった。
もう、いろいろな事を抱えて走り続けることに疲れ果てたのだ。
その後、父のことがあったり、体調を崩したりで、今は、カレンダーは殆ど空白である。
それでも、突発的に入る父の変化で、ホームへ駆けつけたり病院へ直行したりということがあり、のんびり暮らしているわけにもいかない。
友人と話しをしていると、また一緒に舞台を創りたいという思いもわずかに浮かんでくるが、やっぱり無理という思いのほうが強い。
友人もそれらしい話をするが、父のこともあるのでそれ以上は踏み込めないのだろう。
一緒に仕事をしていた私たちに共通する思いは、有名な舞台監督の言葉ではないが『ソリストは花、スタッフは根』であって、舞台で出演者を輝かせたい、そして、ソリストのファンではない一般の観客に内容で喜んでもらうために、精一杯の努力をするというものであった。
そのためには、スタッフとも喧嘩をしたし、強引に意志を通させてもらった事もある。
ものを創り上げていく情熱や苦しさ、幕が上がる前の怒涛のような忙しさと緊張感、幕が上がった後、一曲一曲を祈るような気持ちで見つめる緊張と安堵、観客を送り出すときの充実感は忘れられない。
それでも、もう私の中では過去になりつつある。
私は、友人の各演目の曲に対する造詣の深さや、一つの音に対する作曲家の意図した意味を理解する力とその表現力を尊敬している。
その友人の力があったからこそ、私のようなものでも何とかやってこられたのだから。
『でも、もう限界だよ。ごめんね』と言えずに、『じゃあ 公演の成功を祈ってます』と言って電話を切った。
2008.01.07
明けましておめでとう
慌ただしく過ごしているうちに年が明けてしまって、早くも七草となってしまった。
昨年末に父が退院したのだか、それまで毎日午後は病院へ行っていたので、我が家の片付けや大物の洗濯もままならず、いろいろ仕事が溜まっていた。
その上、お正月の準備もあるのだから、気は焦るが一日にできることは決まってしまう。
「おせち」は作る時間的余裕がなくて、さる料亭のを予約をしておいたのでお重に詰める手間も省けた。
それにもかかわらず、例年のごとく大晦日はゆっくりなど出来るはずもなく、NHKテレビの「行く年来る年」の除夜の鐘を聞きながら、年をまたいで年賀状を印刷するという慌ただしさだった。
私のささやかな願いは、「行く年来る年」をゆっくりと見られる大晦日を過ごしたいということである。
しかし、現実はいつも元旦のお雑煮や料理の準備や、お正月用の食器類の準備に追われている。
そして、元日は朝からゆっくりする間もなく忙しい。
今年は、二日から暮れにやり残した掃除をして、シーツやカバーなどの大洗濯をした。
家族たちはバラバラと出かけてしまっていないのだが、毎日、二〜三回の洗濯と三度の食事の支度と雑用で日々が終わってしまった。
毎年、稲穂のついたお飾りを玄関に飾っていたが、いつ頃からか雀がすぐにやって来て、その稲穂を食べてしまう。
初めの頃は、二三羽でやって来るだけで、中には親雀が、下にいる小雀に籾を落としてやっているほほえましい姿もあって、折角掃除をした玄関前が籾殻で散らかっても、お正月前に稲穂が無くなってしまっても許していた。
しかし、年々雀が増え、今年は二十羽以上が飛んできて糞で汚される始末である。
それ以前から、群れで屋上にやって来るので、パーゴラなどが糞でかなり白くなってしまった。
それだけではなく、植木の根元に敷いてある根を保護するウッドチップを、あちこち掘り返して辺りに散らかすのである。
別に土中に虫がいるというわけではなく、遊びのように掘り返すので根も傷む。
追うと逃げるが、隣の家の屋上のフェンスにとまって一斉にこちらの様子を伺っている。
下に停めてある車も糞で汚される。
いまや、舌切り雀の意地悪ばあさんの心境になってくるのを、かろうじて理性で押さえている。
何だか慌ただしくて纏まらず、雀と追いかけっこのような年末年始だったが、心身ともに疲労困憊のお正月だった。
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