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2007.11.28
湯治で元気?
10月11月は、自律神経失調に効くという温泉へちょいちょい湯治に行っていた。
今年の冬は早々に寒くはならないだろうと、立冬を過ぎてものんびり湯治をしていたら、北極振動の影響で大変な寒気団がやってきた。
東京は18日の夕方から木枯らし一号が吹きはじめ、北海道、東北は大雪に見舞われた。
のんびりゆるゆるしていたつけが回ってきて、先週から慌てて温室を組み立てたり、風除けのネットを張りや霜よけをしたりしている。
延び延びになっていた春から夏の植物を片付け、秋冬の花に植え替えたりと毎日重労働をしている。
それでも何とか動けるのは、湯治のお陰か漢方の煎じ薬が効いているのか、その相乗効果なのか、もう10日間も毎日続けていられるのは驚異的なことである。
肩や腰が痛くなっても翌朝には何とかなっているので、整体へ行くのも先延ばしにしている。
今一番気に入っているのは、自律神経にも効くという伊豆長岡の温泉にある「ストーンセラピー」である。
これは、バードガスタインというオーストリア産出の微量のラジウムを放出する鉱石の傍で、1時間くらい休息するというものである。
薄暗いホールのような部屋の真ん中に、大きな鉱石がいくつか置いてあり、それと一緒にマイナスイオンと遠赤外線を出すという八幡平の溶岩石もある。
両側の壁際にはリクライニングのイスがあり、そこで横になっていると静かでとても落ち着く。
大きな扁平の鉱石もあり、その上で寝ている人もいるが、私には冷たくて無理だった。
また、岩盤浴室の壁にもこの鉱石が使われていて、この鉱石に手で触れていると、すぐに指先まで発汗してくる。
この岩盤浴は、秋田県の玉川温泉の北投石(以前も書いたが、世界で3ヶ所玉川、台湾、チリでしか産出しない微量のラジウムを放射する鉱石で、日本は現在、天然記念物に指定され採取禁止)に温泉水を通し霧状にして室内に噴出させているので、温泉水に溶け出したラドンが空気中にも放出され、それを吸うことでも効果があるといわれている。
微量のラジウムはホルミシス効果があって、細胞を活性化させ免疫力を高めるだけでなく癌抑制遺伝子を活発化させて癌細胞を自殺に追い込む。
玉川温泉の天然の岩盤浴は、地熱で暖まった岩盤の上にゴザを敷いてその上に寝るのである。
以前、八幡平を周った時に立ち寄ったが、宿が取れずに駐車場で寝泊りしながら湯治をしている人たちで、いくつかある駐車場はどこも車が詰まっていて、どの車もゴザやタオルケットが干してあった。
一軒しかない宿の予約が一年以上も待たないと取れずに、車で寝泊りしながら湯治をしているのである。
その後事故でもあったのか長期に占有させないためなのか、今では駐車場は夜間閉鎖されているようである。
今年は、ラニーニャと北極の氷の減少の影響で、日本の12月は寒いという専門家の予測である。
すでに、神奈川県はインフルエンザ流行の地域になったらしい。
今年の冬を何とか無事に乗り切るために、また近いうちに湯治に行きたいと思っている。
今年の冬は早々に寒くはならないだろうと、立冬を過ぎてものんびり湯治をしていたら、北極振動の影響で大変な寒気団がやってきた。
東京は18日の夕方から木枯らし一号が吹きはじめ、北海道、東北は大雪に見舞われた。
のんびりゆるゆるしていたつけが回ってきて、先週から慌てて温室を組み立てたり、風除けのネットを張りや霜よけをしたりしている。
延び延びになっていた春から夏の植物を片付け、秋冬の花に植え替えたりと毎日重労働をしている。
それでも何とか動けるのは、湯治のお陰か漢方の煎じ薬が効いているのか、その相乗効果なのか、もう10日間も毎日続けていられるのは驚異的なことである。
肩や腰が痛くなっても翌朝には何とかなっているので、整体へ行くのも先延ばしにしている。
今一番気に入っているのは、自律神経にも効くという伊豆長岡の温泉にある「ストーンセラピー」である。
これは、バードガスタインというオーストリア産出の微量のラジウムを放出する鉱石の傍で、1時間くらい休息するというものである。
薄暗いホールのような部屋の真ん中に、大きな鉱石がいくつか置いてあり、それと一緒にマイナスイオンと遠赤外線を出すという八幡平の溶岩石もある。
両側の壁際にはリクライニングのイスがあり、そこで横になっていると静かでとても落ち着く。
大きな扁平の鉱石もあり、その上で寝ている人もいるが、私には冷たくて無理だった。
また、岩盤浴室の壁にもこの鉱石が使われていて、この鉱石に手で触れていると、すぐに指先まで発汗してくる。
この岩盤浴は、秋田県の玉川温泉の北投石(以前も書いたが、世界で3ヶ所玉川、台湾、チリでしか産出しない微量のラジウムを放射する鉱石で、日本は現在、天然記念物に指定され採取禁止)に温泉水を通し霧状にして室内に噴出させているので、温泉水に溶け出したラドンが空気中にも放出され、それを吸うことでも効果があるといわれている。
微量のラジウムはホルミシス効果があって、細胞を活性化させ免疫力を高めるだけでなく癌抑制遺伝子を活発化させて癌細胞を自殺に追い込む。
玉川温泉の天然の岩盤浴は、地熱で暖まった岩盤の上にゴザを敷いてその上に寝るのである。
以前、八幡平を周った時に立ち寄ったが、宿が取れずに駐車場で寝泊りしながら湯治をしている人たちで、いくつかある駐車場はどこも車が詰まっていて、どの車もゴザやタオルケットが干してあった。
一軒しかない宿の予約が一年以上も待たないと取れずに、車で寝泊りしながら湯治をしているのである。
その後事故でもあったのか長期に占有させないためなのか、今では駐車場は夜間閉鎖されているようである。
今年は、ラニーニャと北極の氷の減少の影響で、日本の12月は寒いという専門家の予測である。
すでに、神奈川県はインフルエンザ流行の地域になったらしい。
今年の冬を何とか無事に乗り切るために、また近いうちに湯治に行きたいと思っている。
2007.11.05
亡国への道
年金問題、薬害肝炎問題、新テロ特措法等々、国民にとって重大な問題が山積している中、今度は自民・民主の大連立などというニュースが飛び込んできて、それはないだろうと思っていたら、小沢氏は党内の反対にあって拒否したという。
自民党の謀略なのか、小沢氏に何かの計算があってのことかはわからないが、もし実現したら、民主党がどう動くかで、国民に吉と出るか凶と出るかだ。
しかも、そのニュースの翌日には、小沢氏に対する報道の殆どが事実無根で、(自民党の)一方的な情報を垂れ流したとして、小沢氏のマスコミへの抗議文が出され、その上、小沢氏が代表を辞任するという。
小沢氏は、何かきっかけさえあれば辞めるだろうと思ってはいたが。
個人的には、今の民主党には小沢氏の政治的意図を理解する人はいないのだから、いっそ引退してはどうかと思う。
かつて、新進党が分裂した時、テリー伊藤氏が“(小沢氏が)頭を丸めて仏門に入るのもよいのではないか”と言ったが、山寺に籠るというのも似合っているような気がするのだが。
そんな政治の混迷の中で、この国はどんどん荒廃・亡国の一途を辿っている。
それはどこかで読んだ近未来小説の様でもあり、90年代の先進国による途上国の構造改革・構造調整によって引き起こされた状況に似てきたように思うのは、私だけだろうか。
先日、世界最大の投資ファンドであるアメリカの「ブラックストーングループ」が、近く日本法人の「ブラックストーングループ・ジャパン」を設立するという。
今年6月、中国が外貨準備として議決権無しで30億ドルを投資した会社である。
中国は、アメリカ政府に近いこの会社へ投資する事によって、アメリカの対中政策に影響を与えるという目的もあるといわれている。
日本法人の設立後は不動産を中心に業務を行っていくそうだが、巨大資本をバックに日本の土地や企業が買収されていくわけである。
しかも、三角合併によって吸収された日本企業は子会社化され、親会社である「ブラックストーングループ」には、益々多くの資本が集まる事になる。
そのため、日本企業は防衛のために株主を優先し、そのしわ寄せは従業員へ回ってくる。
ホワイトカラーエグゼンプションを推し進めている平成のマリー・アントワネットといわれるお方は、“過労死なんて気のせい。自己管理が出来ていない”と言ったとか。
「国際競争力」という大義名分の下に、民はどんどん疲弊して格差は益々拡大・深刻化していく。
今、日本の人工林の41%が砂漠化しているという。
昭和30年から40年代にかけて、全国的に山の頂上まで自然林を伐採し、杉やヒノキなどの針葉樹に植え替えたのである。
ところが、その後の規制緩和により、安い輸入木材が入ってくると国産は売れなくなり、
やがて、森林は維持管理が難しくなって放置され、中には持ち主さえわからなくなっているところもあるという。
間伐されずに密集した森林は、地表に光が届かず、草一本生えない土地となって砂漠となる。
青々と見える山々の下で、多くの人の気がつかないうちに山は砂漠となっているのである。
このことの重大な点は、山が保水力を失っているのである。
また、密集した針葉樹は根が浅く、大雨で山崩れを起しやすい。
去年の台風の時、切り取られて森が動くように斜面を滑り落ちていくニュース映像があったが、あれなども山に保水力がなく、根の浅い木が持ちこたえられない結果である。
先月、二度ほど箱根へ行ったが、一度目の小田原から小涌谷へ入ったときは九月の集中豪雨も地震の影響も全く見られなかった。
二度目は中旬に御殿場から仙石原へ入ったのだが、138号線のあちこちで土砂崩れの跡と杉の大木が斜面を滑り落ちているのを目撃したし、長尾峠への道は通行止めとなっていた。
小田原から続く箱根の山々は自然林で、特に湯坂山の湧水は滝などもありとても豊富だ。
照葉樹林(常緑広葉樹・シイ、クスノキ、ツバキなどの光沢のある葉)や広葉樹林は、古代より人や動物たちに恵を与えてきた。
森がきれいで豊かな水をつくり、川や海を豊かにしてきた。
その森を潰して、針葉樹を植えさせた国の長期的ビジョンの無さは、現在、問題になっている林野庁が進めた「緑のオーナー制度」の無責任さにも現れている。
日本の美称である「豊葦原の瑞穂の国」として、多くの保水力を保っていた水田もどれくらい消え失せたのだろうか。
今や全耕地の10%以上が休耕地となっている。
そして、後継者がいなくて、近い将来、農業に従事する人が皆無となる集落もあるという。
これは、食料自給率以前の重大な問題で、長期的ビジョンも無く、長年にわたる“猫の目農政”のつけの結果である。
表向きは、構造改革だの国際競争力を高めるだの、環境問題で温室効果ガスの削減で世界をリードだの、国際貢献だのと格好をつけているが、中身は、外圧での規制緩和ばかり。
外国資本による企業の吸収合併や都市の土地や不動産は外国のもの、金融も保険も医療も米も外国資本に侵略されだした。
山や田畑は荒れ、雨が降れば洪水や土砂崩れで土地や家は流され、外国から高い食料を買わされる。
労働者は疲弊し、貧富の差は益々拡大して、これではとても先進国とはいえない。
「改革」を金科玉条のようにいう政治家や男性諸氏、君が代や日の丸を愛国心だと勘違いしている政治家や男性諸氏よ、国とは何か、政とは何か、国を愛するとは何か、その本質をもう一度考えて欲しいと切に思う。
自民党の謀略なのか、小沢氏に何かの計算があってのことかはわからないが、もし実現したら、民主党がどう動くかで、国民に吉と出るか凶と出るかだ。
しかも、そのニュースの翌日には、小沢氏に対する報道の殆どが事実無根で、(自民党の)一方的な情報を垂れ流したとして、小沢氏のマスコミへの抗議文が出され、その上、小沢氏が代表を辞任するという。
小沢氏は、何かきっかけさえあれば辞めるだろうと思ってはいたが。
個人的には、今の民主党には小沢氏の政治的意図を理解する人はいないのだから、いっそ引退してはどうかと思う。
かつて、新進党が分裂した時、テリー伊藤氏が“(小沢氏が)頭を丸めて仏門に入るのもよいのではないか”と言ったが、山寺に籠るというのも似合っているような気がするのだが。
そんな政治の混迷の中で、この国はどんどん荒廃・亡国の一途を辿っている。
それはどこかで読んだ近未来小説の様でもあり、90年代の先進国による途上国の構造改革・構造調整によって引き起こされた状況に似てきたように思うのは、私だけだろうか。
先日、世界最大の投資ファンドであるアメリカの「ブラックストーングループ」が、近く日本法人の「ブラックストーングループ・ジャパン」を設立するという。
今年6月、中国が外貨準備として議決権無しで30億ドルを投資した会社である。
中国は、アメリカ政府に近いこの会社へ投資する事によって、アメリカの対中政策に影響を与えるという目的もあるといわれている。
日本法人の設立後は不動産を中心に業務を行っていくそうだが、巨大資本をバックに日本の土地や企業が買収されていくわけである。
しかも、三角合併によって吸収された日本企業は子会社化され、親会社である「ブラックストーングループ」には、益々多くの資本が集まる事になる。
そのため、日本企業は防衛のために株主を優先し、そのしわ寄せは従業員へ回ってくる。
ホワイトカラーエグゼンプションを推し進めている平成のマリー・アントワネットといわれるお方は、“過労死なんて気のせい。自己管理が出来ていない”と言ったとか。
「国際競争力」という大義名分の下に、民はどんどん疲弊して格差は益々拡大・深刻化していく。
今、日本の人工林の41%が砂漠化しているという。
昭和30年から40年代にかけて、全国的に山の頂上まで自然林を伐採し、杉やヒノキなどの針葉樹に植え替えたのである。
ところが、その後の規制緩和により、安い輸入木材が入ってくると国産は売れなくなり、
やがて、森林は維持管理が難しくなって放置され、中には持ち主さえわからなくなっているところもあるという。
間伐されずに密集した森林は、地表に光が届かず、草一本生えない土地となって砂漠となる。
青々と見える山々の下で、多くの人の気がつかないうちに山は砂漠となっているのである。
このことの重大な点は、山が保水力を失っているのである。
また、密集した針葉樹は根が浅く、大雨で山崩れを起しやすい。
去年の台風の時、切り取られて森が動くように斜面を滑り落ちていくニュース映像があったが、あれなども山に保水力がなく、根の浅い木が持ちこたえられない結果である。
先月、二度ほど箱根へ行ったが、一度目の小田原から小涌谷へ入ったときは九月の集中豪雨も地震の影響も全く見られなかった。
二度目は中旬に御殿場から仙石原へ入ったのだが、138号線のあちこちで土砂崩れの跡と杉の大木が斜面を滑り落ちているのを目撃したし、長尾峠への道は通行止めとなっていた。
小田原から続く箱根の山々は自然林で、特に湯坂山の湧水は滝などもありとても豊富だ。
照葉樹林(常緑広葉樹・シイ、クスノキ、ツバキなどの光沢のある葉)や広葉樹林は、古代より人や動物たちに恵を与えてきた。
森がきれいで豊かな水をつくり、川や海を豊かにしてきた。
その森を潰して、針葉樹を植えさせた国の長期的ビジョンの無さは、現在、問題になっている林野庁が進めた「緑のオーナー制度」の無責任さにも現れている。
日本の美称である「豊葦原の瑞穂の国」として、多くの保水力を保っていた水田もどれくらい消え失せたのだろうか。
今や全耕地の10%以上が休耕地となっている。
そして、後継者がいなくて、近い将来、農業に従事する人が皆無となる集落もあるという。
これは、食料自給率以前の重大な問題で、長期的ビジョンも無く、長年にわたる“猫の目農政”のつけの結果である。
表向きは、構造改革だの国際競争力を高めるだの、環境問題で温室効果ガスの削減で世界をリードだの、国際貢献だのと格好をつけているが、中身は、外圧での規制緩和ばかり。
外国資本による企業の吸収合併や都市の土地や不動産は外国のもの、金融も保険も医療も米も外国資本に侵略されだした。
山や田畑は荒れ、雨が降れば洪水や土砂崩れで土地や家は流され、外国から高い食料を買わされる。
労働者は疲弊し、貧富の差は益々拡大して、これではとても先進国とはいえない。
「改革」を金科玉条のようにいう政治家や男性諸氏、君が代や日の丸を愛国心だと勘違いしている政治家や男性諸氏よ、国とは何か、政とは何か、国を愛するとは何か、その本質をもう一度考えて欲しいと切に思う。
2007.11.01
久しぶりのコンサート
先日、久しぶりにコンサートへ行った。
私が家に閉じこもっているのではないかと、心配した友人が誘ってくれたのである。
私より一回り年の違う友人の、そのまた友人のご子息が指揮をするという。
国際コンクールで優勝他多数の受賞を重ね、国内外のオーケストラの指揮でも活躍中であり、現在は、日本とアメリカに拠点を置く国際的指揮者である。
当日は、「二期会マイスタージンガー(ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンのダブルカルテット)」と「日本フィル」の共演で、肩の凝らない楽しいものであった。
第一部は、「マイスタージンガー」がピアノと弦楽アンサンブルで、日本の歌曲や世界の民謡、ビートルズから島唄まで、声楽の美しいハーモニーを聴かせてくれた。
「マイスタージンガー(ドイツ語で名歌手)」は、二期会会員約2,000人の中から選ばれただけあって、歌唱力、声量、エンターテインメント等、なかなかであった。
第2部は、オーケストラが入ってのオペラ・ハイライトで、ワグナー作曲の「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲から始まった。
指揮はなかなか力強いものであったが、座席が二階左ウイングの前から2列目だったので、
音がそのまま上がってくるという感じで、少し耳障りな感じがした。
それは、マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲でも感じた。
このオペラは好きなオペラの一つであるが、その中の「間奏曲」は私が一番大好きな曲である。
イタリア・シチリアを舞台にしたこのオペラは、復活祭の朝から夕方までの一日に起こった悲劇である。
主人公のサントゥッツァは、恋人トゥリッドゥと人妻ローラ(元婚約者)との三角関係に悩んでいるが、恋人のつれない仕打ちに激情に駆られ、思わずローラの夫に二人の関係を告げ口してしまう。
そこから、男二人の決闘へと進み、トゥリッドゥの死で終わる。
一口に言ってしまえばTVのワイドショウに出てくるような話であるが、「間奏曲」をはじめ美しい旋律の曲が多いオペラである。
「間奏曲」は、このオペラ以前に単独で作曲されたものである。
その他にも「オレンジの花は香り」や「乾杯の歌(あわ立つぶどう酒)」などの合唱曲や、サントゥッツァがトゥリッドゥの母親ルチアに悩みを打ち明ける「ママも知るとおり」や、トゥリッドゥが決闘の前に、何も知らない母親にそれとなく別れを告げる「母さん、あの酒は強いね」などがある。
私は、サントゥッツァが教会の外で聖母マリアに祈りを捧げる「天上の聖母マリア」も大好きである。
私の葬送には、「間奏曲」とこの「天上の聖母マリア」をBGMとして流して欲しいと思っているのだが、キリスト教徒ではないので「天上の聖母マリア」は怒られるかもしれない。
「間奏曲」は、以前、浅田次郎の作ったペットフード・猫缶のCMに使われていて、その後もいろいろなCMに使われているので、娘が賛成してくれない。
思いがけず「間奏曲」が聴けたのは大変うれしかったのだが、欲を言えば、シチリアの明るい太陽の下の静かな昼下がりの情景を想い描きながら、もっと静かに聴きたかった。
また、ビゼー作曲「カルメン」の「ハバネラ」の娼婦のような歌い方は私の趣味ではなかった。
カルメンというと“あばずれ”とか“娼婦”という演出が殆どだが、ジプシーとして誰にも束縛されない自由と真っ直ぐに生きる事を望んだカルメンは、娼婦のように男に媚を売る必要もない。
まだ二十歳そこそこの若さで、黒い瞳の情熱的な美しい女はそれだけで男が寄ってくる。
何も娼婦のような真似などする必要もないのだが、演出家の多くはそうは考えないらしい。
ある有名な演出家は、『カルメンのような悪女は大嫌いな女』といいながら演出をした。
その舞台は、ロンドンのダウンタウンのような暗い舞台設定で、正面に急な比較的幅の狭い大階段がそびえ立ち、しかもその左右が壁で囲まれているので、S席でも少し正面から外れると見えない部分がある。
出演者は、暗い急な階段を昇り降りしながら歌って演技をするわけだから、かなり大変だったらしい。
公演中に落ちて骨折した歌手がいるという噂があったが、後からそれが知り合いだったと知って大いに同情した。
それよりも、偏見によって歪められたカルメンに大いに同情する。
カルメンがしたたかで男を手玉に取るような女ならば、ドン・ホセに殺されることにはならなかっただろう。
優柔不断でマザコンでストーカーのドン・ホセは、自分の不幸を他人のせいにする馬鹿男で、自分の世界観でしか他人を見ることが出来ず、カルメンのことを全く理解していない。
そして、女を束縛しようとする。
そんな馬鹿男に、殺される事がわかっていても“自分は誰のものでもない。自由に生きるのだ”とはっきり主張する潔さを、どうして男性はわからないのかなぁと思うのだが…
敬虔なキリスト教徒で誇り高いバスク人のドン・ホセと、ボヘミアンのカルメンが一緒になって幸せになれるわけがないのは自明の理。
(バスク人はスペインがイスラムに侵略された時も、最後までキリスト教を捨てなかったので、名前に貴族の称号であるドンがつくといわれている。)
馬鹿なドン・ホセの転落の物語が、悪女の物語にすり替わってしまったのがオペラ「カルメン」なのだ。
話をコンサートに戻すと、指揮者は、友人が『とても優しい子だった』と言うとおりの人柄が見てとれ、歌手たちも楽しんでいるような和やかなコンサートだった。
アンコールも長くて、拍手をし続けるのは肩に響いて苦痛なのだが、それでも歌手やオーケストラの大盤振る舞いといったアンコールもあって、大変楽しい夜だった。
友人に感謝。
私が家に閉じこもっているのではないかと、心配した友人が誘ってくれたのである。
私より一回り年の違う友人の、そのまた友人のご子息が指揮をするという。
国際コンクールで優勝他多数の受賞を重ね、国内外のオーケストラの指揮でも活躍中であり、現在は、日本とアメリカに拠点を置く国際的指揮者である。
当日は、「二期会マイスタージンガー(ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンのダブルカルテット)」と「日本フィル」の共演で、肩の凝らない楽しいものであった。
第一部は、「マイスタージンガー」がピアノと弦楽アンサンブルで、日本の歌曲や世界の民謡、ビートルズから島唄まで、声楽の美しいハーモニーを聴かせてくれた。
「マイスタージンガー(ドイツ語で名歌手)」は、二期会会員約2,000人の中から選ばれただけあって、歌唱力、声量、エンターテインメント等、なかなかであった。
第2部は、オーケストラが入ってのオペラ・ハイライトで、ワグナー作曲の「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲から始まった。
指揮はなかなか力強いものであったが、座席が二階左ウイングの前から2列目だったので、
音がそのまま上がってくるという感じで、少し耳障りな感じがした。
それは、マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲でも感じた。
このオペラは好きなオペラの一つであるが、その中の「間奏曲」は私が一番大好きな曲である。
イタリア・シチリアを舞台にしたこのオペラは、復活祭の朝から夕方までの一日に起こった悲劇である。
主人公のサントゥッツァは、恋人トゥリッドゥと人妻ローラ(元婚約者)との三角関係に悩んでいるが、恋人のつれない仕打ちに激情に駆られ、思わずローラの夫に二人の関係を告げ口してしまう。
そこから、男二人の決闘へと進み、トゥリッドゥの死で終わる。
一口に言ってしまえばTVのワイドショウに出てくるような話であるが、「間奏曲」をはじめ美しい旋律の曲が多いオペラである。
「間奏曲」は、このオペラ以前に単独で作曲されたものである。
その他にも「オレンジの花は香り」や「乾杯の歌(あわ立つぶどう酒)」などの合唱曲や、サントゥッツァがトゥリッドゥの母親ルチアに悩みを打ち明ける「ママも知るとおり」や、トゥリッドゥが決闘の前に、何も知らない母親にそれとなく別れを告げる「母さん、あの酒は強いね」などがある。
私は、サントゥッツァが教会の外で聖母マリアに祈りを捧げる「天上の聖母マリア」も大好きである。
私の葬送には、「間奏曲」とこの「天上の聖母マリア」をBGMとして流して欲しいと思っているのだが、キリスト教徒ではないので「天上の聖母マリア」は怒られるかもしれない。
「間奏曲」は、以前、浅田次郎の作ったペットフード・猫缶のCMに使われていて、その後もいろいろなCMに使われているので、娘が賛成してくれない。
思いがけず「間奏曲」が聴けたのは大変うれしかったのだが、欲を言えば、シチリアの明るい太陽の下の静かな昼下がりの情景を想い描きながら、もっと静かに聴きたかった。
また、ビゼー作曲「カルメン」の「ハバネラ」の娼婦のような歌い方は私の趣味ではなかった。
カルメンというと“あばずれ”とか“娼婦”という演出が殆どだが、ジプシーとして誰にも束縛されない自由と真っ直ぐに生きる事を望んだカルメンは、娼婦のように男に媚を売る必要もない。
まだ二十歳そこそこの若さで、黒い瞳の情熱的な美しい女はそれだけで男が寄ってくる。
何も娼婦のような真似などする必要もないのだが、演出家の多くはそうは考えないらしい。
ある有名な演出家は、『カルメンのような悪女は大嫌いな女』といいながら演出をした。
その舞台は、ロンドンのダウンタウンのような暗い舞台設定で、正面に急な比較的幅の狭い大階段がそびえ立ち、しかもその左右が壁で囲まれているので、S席でも少し正面から外れると見えない部分がある。
出演者は、暗い急な階段を昇り降りしながら歌って演技をするわけだから、かなり大変だったらしい。
公演中に落ちて骨折した歌手がいるという噂があったが、後からそれが知り合いだったと知って大いに同情した。
それよりも、偏見によって歪められたカルメンに大いに同情する。
カルメンがしたたかで男を手玉に取るような女ならば、ドン・ホセに殺されることにはならなかっただろう。
優柔不断でマザコンでストーカーのドン・ホセは、自分の不幸を他人のせいにする馬鹿男で、自分の世界観でしか他人を見ることが出来ず、カルメンのことを全く理解していない。
そして、女を束縛しようとする。
そんな馬鹿男に、殺される事がわかっていても“自分は誰のものでもない。自由に生きるのだ”とはっきり主張する潔さを、どうして男性はわからないのかなぁと思うのだが…
敬虔なキリスト教徒で誇り高いバスク人のドン・ホセと、ボヘミアンのカルメンが一緒になって幸せになれるわけがないのは自明の理。
(バスク人はスペインがイスラムに侵略された時も、最後までキリスト教を捨てなかったので、名前に貴族の称号であるドンがつくといわれている。)
馬鹿なドン・ホセの転落の物語が、悪女の物語にすり替わってしまったのがオペラ「カルメン」なのだ。
話をコンサートに戻すと、指揮者は、友人が『とても優しい子だった』と言うとおりの人柄が見てとれ、歌手たちも楽しんでいるような和やかなコンサートだった。
アンコールも長くて、拍手をし続けるのは肩に響いて苦痛なのだが、それでも歌手やオーケストラの大盤振る舞いといったアンコールもあって、大変楽しい夜だった。
友人に感謝。
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