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2007.09.21
ただ今 闘病中
8月下旬から、ひどい寝汗と頭痛で目覚める事が続いていた。
あまり体調も良くなかったので、夏の疲れが出たのかと思っていたら、9月の初めに、また突然の急激なめまいに襲われた。
その日は、昼食を食べ終わったところで急に気分が悪くなり、横になったら突然に視界が回りだした。
4年前の9月にも、食事の直後に気分が悪くなり、横になった途端突然の激しいめまいで、景色がスロットマシーンのように超高速で回転する状態に陥った。
自分の体が無重力の宇宙空間に放り出されたように、立っているのか横になっているのか、逆立ちしているのか垂直水平もわからない状況になった。
それと同時に激しい吐気で、体に少しでも触られただけでも吐いてしまう。
それでも『救急車は嫌だ』と叫んでいたが、困り果てた夫が救急車を呼び、結局、ストレッチャーにも乗れずにイスに座ったままの状態で、しかも、絶え間ない吐気で洗面器を抱えたままレスキュ―に運び出された。
夫は、『サイレンを鳴らさないで来て欲しい』と頼んだそうであるが、家の直前で止めれば
ご近所には“サイレンが止まったから近くだ”とわかってしまう。
そして、救急車がずっと止まっていると思ったらレスキューまで来たので、何事かと思って、少し離れた商店街の人たちまで見に来ていたという。
まだストレッチャーだったら隠れようもあったかもしれないが、高い位置でイスに座っている私の姿は隠しようもなく、体中汗まみれで顔には髪が張り付き、洗面器を抱えてゲーゲーやっている状態のまま衆人環視の救急車へ運ばれた。
それから、3日間入院していろいろ検査をしたが原因は解からず、結局、過労とストレスと睡眠不足ということだった。
入院してから、ずっと点滴で吐気止めを入れながらだったので、入院時の汗だらけの衣類も着替えられず、食事も出来ず、トイレも行かれない状態だったが、検査結果が出る頃には、めまいはメリーゴーランドのようにゆっくり回転するものになっていたので、目を開けられる状態になっていた。
主治医は検査に特段の異常がなかったので、“帰りたかったら、帰っても良い”と言うので、私のこの状態は、結局私にしか解からないのだと思った。
過去に二度手術をしている私は、入院と点滴が大嫌いである。
体にチューブを差し込まれるだけで、拘禁性ノイローゼになりそうである。
以前の胆嚢摘出の時は、検査が長くて20日間ほどの入院だったが、円形脱毛症になってしまった。
この先も点滴に繋がれたままでは余計ストレスになるのと、早く家に帰ってシャワーを浴びたかったので、早々に退院許可書をもらってしまった。
その後で、院長回診があって『まだ目が回っている』と言われたが、主治医の退院許可があるので、さっさと退院してしまった。
その後も、四六時中ではないが、ゆっくりとした回転性のめまいはずっと続き、家から出ると、めまいとは違うくらくらする不安定感で道路を真っ直ぐに歩くのが大変だったりしたが、それも日によって違い、難の苦もなく歩ける事もあった。
それが、最近はなくなったと思っていた矢先、また悪魔が蘇えった。
今回は一度経験しているので、景色が回転を始めた途端すぐに知っている限りのめまいに効くつぼを押さえた。
幸い、前回のような超高速にはならなかったので、最悪の事態にはならず救急車も呼ばずに済んだ。
夜には少し落ち着いてきたので安心していたら、翌朝から大変な事になってしまった。
朝、目が覚めたときから目が回っているので、起き上がれない。
やっと起き上がっても立ち上がれず、やっとの思いで居間まで行くのだが、そこで吐気がして動けない。
午前中は、洗面器を抱えてうずくまって吐気の嵐が過ぎるのを待つしかない。
午後から夕方にかけて立ち直り、夜には落ち着くという事を繰り返し、夫や子どもたちから『病院へ連れて行く』と強制される中で、この状態では待合室で待っている事も辛いので、少し落ち着くまで待って欲しいと懇願した。
自分の冷静に状況を考えてみると、頭痛、めまい、吐気、腹痛、下痢があるが、手足の痺れはないし呂律が回らないということもない、血圧も当初高かったが、すぐに落ち着いてきているなどで、早急に病院へ行くこともないと判断した。
元々頚椎のヘルニアがあるので整体へも行ってみた。
そうこうするうちに、下半身の冷えに気がついてどうも自律神経ではないかと思うようになった。
最初のめまいから一週間後、大分良くなってきたと思った頃に、突然の急激な腹痛・下痢で
一気に血圧が下がり意識が遠くなりそうな中を必死でこらえながら、頭や手先に血が通ってくるのを割りと冷静に見つめる事が出来た。
少し落ち着いてきたところで、すぐ浴槽にお湯を入れてもらって半身浴で体を温めた。
ところが、足は全く暖まらないのである。
これは、もう間違いなく自律神経失調だろうと思った。
それから、いろいろインターネットで検索し、思ったとおり自律神経失調には漢方が一番合っているのではないかと結論した。
翌日、今までの経過といろいろな症状を話し、それに合った漢方薬を処方してもらった。
長い間の体のバランスの崩れによって、疲労とかストレスなどをきっかけとして症状が現れるとの事だった。
そのような爆弾を抱えて、これから先を生きるのもごめんなので、治せるものなら出来るだけ早く治してしまいたい。
そのような気持ちによるプラシーボ効果もあるのか、飲み始めて3日位でめまいや吐気は治まってきた。
5日目くらいには、掃除機をかけたり拭き掃除も出来るようになった。
まだ足の冷えは治まらないが、とりあえず動けるようになったので気分的にも楽になった。
今、何かと取りざたされる“機能性胃腸障害”でもあるが、何とか入院せずに治まりそうだ。
あまり体調も良くなかったので、夏の疲れが出たのかと思っていたら、9月の初めに、また突然の急激なめまいに襲われた。
その日は、昼食を食べ終わったところで急に気分が悪くなり、横になったら突然に視界が回りだした。
4年前の9月にも、食事の直後に気分が悪くなり、横になった途端突然の激しいめまいで、景色がスロットマシーンのように超高速で回転する状態に陥った。
自分の体が無重力の宇宙空間に放り出されたように、立っているのか横になっているのか、逆立ちしているのか垂直水平もわからない状況になった。
それと同時に激しい吐気で、体に少しでも触られただけでも吐いてしまう。
それでも『救急車は嫌だ』と叫んでいたが、困り果てた夫が救急車を呼び、結局、ストレッチャーにも乗れずにイスに座ったままの状態で、しかも、絶え間ない吐気で洗面器を抱えたままレスキュ―に運び出された。
夫は、『サイレンを鳴らさないで来て欲しい』と頼んだそうであるが、家の直前で止めれば
ご近所には“サイレンが止まったから近くだ”とわかってしまう。
そして、救急車がずっと止まっていると思ったらレスキューまで来たので、何事かと思って、少し離れた商店街の人たちまで見に来ていたという。
まだストレッチャーだったら隠れようもあったかもしれないが、高い位置でイスに座っている私の姿は隠しようもなく、体中汗まみれで顔には髪が張り付き、洗面器を抱えてゲーゲーやっている状態のまま衆人環視の救急車へ運ばれた。
それから、3日間入院していろいろ検査をしたが原因は解からず、結局、過労とストレスと睡眠不足ということだった。
入院してから、ずっと点滴で吐気止めを入れながらだったので、入院時の汗だらけの衣類も着替えられず、食事も出来ず、トイレも行かれない状態だったが、検査結果が出る頃には、めまいはメリーゴーランドのようにゆっくり回転するものになっていたので、目を開けられる状態になっていた。
主治医は検査に特段の異常がなかったので、“帰りたかったら、帰っても良い”と言うので、私のこの状態は、結局私にしか解からないのだと思った。
過去に二度手術をしている私は、入院と点滴が大嫌いである。
体にチューブを差し込まれるだけで、拘禁性ノイローゼになりそうである。
以前の胆嚢摘出の時は、検査が長くて20日間ほどの入院だったが、円形脱毛症になってしまった。
この先も点滴に繋がれたままでは余計ストレスになるのと、早く家に帰ってシャワーを浴びたかったので、早々に退院許可書をもらってしまった。
その後で、院長回診があって『まだ目が回っている』と言われたが、主治医の退院許可があるので、さっさと退院してしまった。
その後も、四六時中ではないが、ゆっくりとした回転性のめまいはずっと続き、家から出ると、めまいとは違うくらくらする不安定感で道路を真っ直ぐに歩くのが大変だったりしたが、それも日によって違い、難の苦もなく歩ける事もあった。
それが、最近はなくなったと思っていた矢先、また悪魔が蘇えった。
今回は一度経験しているので、景色が回転を始めた途端すぐに知っている限りのめまいに効くつぼを押さえた。
幸い、前回のような超高速にはならなかったので、最悪の事態にはならず救急車も呼ばずに済んだ。
夜には少し落ち着いてきたので安心していたら、翌朝から大変な事になってしまった。
朝、目が覚めたときから目が回っているので、起き上がれない。
やっと起き上がっても立ち上がれず、やっとの思いで居間まで行くのだが、そこで吐気がして動けない。
午前中は、洗面器を抱えてうずくまって吐気の嵐が過ぎるのを待つしかない。
午後から夕方にかけて立ち直り、夜には落ち着くという事を繰り返し、夫や子どもたちから『病院へ連れて行く』と強制される中で、この状態では待合室で待っている事も辛いので、少し落ち着くまで待って欲しいと懇願した。
自分の冷静に状況を考えてみると、頭痛、めまい、吐気、腹痛、下痢があるが、手足の痺れはないし呂律が回らないということもない、血圧も当初高かったが、すぐに落ち着いてきているなどで、早急に病院へ行くこともないと判断した。
元々頚椎のヘルニアがあるので整体へも行ってみた。
そうこうするうちに、下半身の冷えに気がついてどうも自律神経ではないかと思うようになった。
最初のめまいから一週間後、大分良くなってきたと思った頃に、突然の急激な腹痛・下痢で
一気に血圧が下がり意識が遠くなりそうな中を必死でこらえながら、頭や手先に血が通ってくるのを割りと冷静に見つめる事が出来た。
少し落ち着いてきたところで、すぐ浴槽にお湯を入れてもらって半身浴で体を温めた。
ところが、足は全く暖まらないのである。
これは、もう間違いなく自律神経失調だろうと思った。
それから、いろいろインターネットで検索し、思ったとおり自律神経失調には漢方が一番合っているのではないかと結論した。
翌日、今までの経過といろいろな症状を話し、それに合った漢方薬を処方してもらった。
長い間の体のバランスの崩れによって、疲労とかストレスなどをきっかけとして症状が現れるとの事だった。
そのような爆弾を抱えて、これから先を生きるのもごめんなので、治せるものなら出来るだけ早く治してしまいたい。
そのような気持ちによるプラシーボ効果もあるのか、飲み始めて3日位でめまいや吐気は治まってきた。
5日目くらいには、掃除機をかけたり拭き掃除も出来るようになった。
まだ足の冷えは治まらないが、とりあえず動けるようになったので気分的にも楽になった。
今、何かと取りざたされる“機能性胃腸障害”でもあるが、何とか入院せずに治まりそうだ。
2007.09.01
小沢一郎という人
政治家として好き・嫌いというよりも、何となく心情が理解できてしまう。
直接会った事も話をしたこともない別世界の人で、それは、私の全くの思い込みなのであるが、なぜか死生観が西郷隆盛に似ているような気がして、どんなに悪くいう人がいても、決して悪い人には思えないのである。
それは、豪腕といわれる中に人間としての優しさや、ある種の気の弱さを見てしまう。
この人は、父親の後を継いだ二世議員であるが、法律家になるべく大学院在学中、父親の急死によって跡を継いだといわれる。
その時に、自民党幹事長だった田中角栄氏にこつこつと真面目に働く姿を認められ、以来、
亡くなった息子の代わりでもあるように可愛がられたという。
この人にとっても、亡くなった父に代わる人だったのだろう。
田中氏がロッキード事件で失脚して、竹下・橋本氏などと経世会を創ったが、ただ一人、毎回裁判を傍聴し、田中氏が亡くなってからは、毎年欠かさず命日には田中邸を訪れているという。
豪腕さは、政治家という職業に固執していないからこそ出来ることなのだと思う。
多くの人が認める“ぶれない”というのも、そこから来ているのではないか。
自民党幹事長時代に首相への指名を断り、三人のご子息を政治家にしない(一人は海上自衛官)、夫人を表に出さないなど、家族を大切にし、政治家は自分の代で終わらせるという信念に徹している。
かつての側近たちなど、多くの人が離れていくということで、人の意見を聞かない等と批判されてもいるが、この人を利用しようとして、それが出来なかった人たちが離れていったのではないか。
頑固さはあるかもしれないが、古くからの盟友・藤井裕久氏や渡部恒三氏は、相変わらず陰に陽にこの人を支えている。
この人の根底には、若き日に自分の望んだ道を進めなかった挫折感と、愛し尊敬する父を亡くした喪失感があり、それを秘めて政治家として生きるために、頑固という鎧を着ているのではないか。
父親の急死で、跡を継いで二世三世議員となる者は多い。
安倍首相も前首相もそうであるが、この人との違いは、弱者に対する目線ではないかと思う。
また、東北人としての反骨が見える。
政治家の靖国神社参拝に関して反対はしていないが、“靖国は官軍の招魂社で、自分は東北の出身で賊軍だから”と行かない。
私は東北の出身ではないが、古くから坂東の地に生きた者の子孫として東北にはシンパシーを感じるし、この気持ちがよく解かる。
仮に私が男で、太平洋戦争で靖国に祭られる運命にあったとしても、私の魂はそれを潔しとはしないだろう。
靖国神社は、日本陸軍の祖といわれる長州出身の大村益次郎の提案によって創られた戊辰戦争での官軍の戦死者を祀る招魂社である。
それはそれでよいのだが、官軍の長州は何をしたかというと、(農民、女、子どもまで殺したことはよくある事としても)負けた賊軍の死者を弔わせる事も厳しく禁止し、山野に長く放置させた。
野武士野盗でもなく、武士が互いに信じる大義のために戦ったのである。
日本人は、昔から、勝者が敗者を祀ってきた。
また、互いに大義のために戦った者を、勝者がさらに辱めるなど、武士道にあるまじき事である。
長州は、武士道を壊して明治政府を作ったのである。
江戸も賊軍であったが、勝海舟と西郷隆盛の二人の傑物によって戦火を間逃れた。
西郷が官軍となって行った山形では、西郷の配慮に感謝して地元が創った西郷神社まであると聞く。
その西郷も、国内政治の不安定から目をそらすための征韓論に騙され、その結果下野して、後に「西南の役」で討ち死にした。
昨日、民主党の役員が決まった。
それを見ると、この人は、近い将来の自分の隠退をはっきり覚悟したのではないかと思った。
直接会った事も話をしたこともない別世界の人で、それは、私の全くの思い込みなのであるが、なぜか死生観が西郷隆盛に似ているような気がして、どんなに悪くいう人がいても、決して悪い人には思えないのである。
それは、豪腕といわれる中に人間としての優しさや、ある種の気の弱さを見てしまう。
この人は、父親の後を継いだ二世議員であるが、法律家になるべく大学院在学中、父親の急死によって跡を継いだといわれる。
その時に、自民党幹事長だった田中角栄氏にこつこつと真面目に働く姿を認められ、以来、
亡くなった息子の代わりでもあるように可愛がられたという。
この人にとっても、亡くなった父に代わる人だったのだろう。
田中氏がロッキード事件で失脚して、竹下・橋本氏などと経世会を創ったが、ただ一人、毎回裁判を傍聴し、田中氏が亡くなってからは、毎年欠かさず命日には田中邸を訪れているという。
豪腕さは、政治家という職業に固執していないからこそ出来ることなのだと思う。
多くの人が認める“ぶれない”というのも、そこから来ているのではないか。
自民党幹事長時代に首相への指名を断り、三人のご子息を政治家にしない(一人は海上自衛官)、夫人を表に出さないなど、家族を大切にし、政治家は自分の代で終わらせるという信念に徹している。
かつての側近たちなど、多くの人が離れていくということで、人の意見を聞かない等と批判されてもいるが、この人を利用しようとして、それが出来なかった人たちが離れていったのではないか。
頑固さはあるかもしれないが、古くからの盟友・藤井裕久氏や渡部恒三氏は、相変わらず陰に陽にこの人を支えている。
この人の根底には、若き日に自分の望んだ道を進めなかった挫折感と、愛し尊敬する父を亡くした喪失感があり、それを秘めて政治家として生きるために、頑固という鎧を着ているのではないか。
父親の急死で、跡を継いで二世三世議員となる者は多い。
安倍首相も前首相もそうであるが、この人との違いは、弱者に対する目線ではないかと思う。
また、東北人としての反骨が見える。
政治家の靖国神社参拝に関して反対はしていないが、“靖国は官軍の招魂社で、自分は東北の出身で賊軍だから”と行かない。
私は東北の出身ではないが、古くから坂東の地に生きた者の子孫として東北にはシンパシーを感じるし、この気持ちがよく解かる。
仮に私が男で、太平洋戦争で靖国に祭られる運命にあったとしても、私の魂はそれを潔しとはしないだろう。
靖国神社は、日本陸軍の祖といわれる長州出身の大村益次郎の提案によって創られた戊辰戦争での官軍の戦死者を祀る招魂社である。
それはそれでよいのだが、官軍の長州は何をしたかというと、(農民、女、子どもまで殺したことはよくある事としても)負けた賊軍の死者を弔わせる事も厳しく禁止し、山野に長く放置させた。
野武士野盗でもなく、武士が互いに信じる大義のために戦ったのである。
日本人は、昔から、勝者が敗者を祀ってきた。
また、互いに大義のために戦った者を、勝者がさらに辱めるなど、武士道にあるまじき事である。
長州は、武士道を壊して明治政府を作ったのである。
江戸も賊軍であったが、勝海舟と西郷隆盛の二人の傑物によって戦火を間逃れた。
西郷が官軍となって行った山形では、西郷の配慮に感謝して地元が創った西郷神社まであると聞く。
その西郷も、国内政治の不安定から目をそらすための征韓論に騙され、その結果下野して、後に「西南の役」で討ち死にした。
昨日、民主党の役員が決まった。
それを見ると、この人は、近い将来の自分の隠退をはっきり覚悟したのではないかと思った。
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